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どうしてこんなに悲しいんだろう

1971年
作詞 吉田拓郎 作曲 吉田拓郎
アルバム「人間なんて」/アルバム「明日に向って走れ」/アルバム「豊かなる一日」/DVD「吉田拓郎 101st Live」/DVD「TAKURO & his BIG GROUP with SEO 2005 」

魂のスタンダードよ永遠なれ

「拓郎さんは、自分の作品の中で何が一番お好きですか?」という質問を時々耳にするが、愚問だ。かつて「自分の作品は全て自分の子供たちである」と宣言した拓郎。たくさんの我が子の中で、この子が一番好きと平気で言える親はいまい。なのでいつもテキトーに答えている拓郎だが、そういう時でもこの「どうしてこんなに悲しいんだろう」を挙げることが多い。一番かどうかは別にして本人にとって深い思いのある作品のようだ。
 プロ歌手として旅立つべくアウェーの東京に乗り込み、一人ぼっちの部屋で、ホントに悲しくなりながら書き上げたというこの曲。人とつながる煩わしさと人恋しさという対極。その二つの岸辺の間をさまよいながら、人と人とのあるべき距離をさがすという御大を今も貫く深奥のテーマが覗く。自分の心の中をさまようようなこの詞にこそ深くかつ広い共感のツボがあるのではないか。ファンはもとより、渡辺美里、竹内まりや、多くの音楽家たちの若き日のよりどころにもなっているゆえんだ。
 71年の飯田高校文化祭で新曲として弾き語りで披露された(サビのメロディーが微妙に違う)。その直後に、同年のアルバム「人間なんて」で正式録音された。加藤和彦のプロデュースのもと、松任谷正隆の心の襞を撫でるようなあのピアノで始まり、加藤和彦のギターが被っていく、あの不滅のバージョンの誕生だ。特にアコースティックギターの音を鳴らさないでカッティングだけやるという加藤和彦の方法は、御大には衝撃だったようだ。「結婚しようよ」の項でも書いたが、加藤和彦との出会いをキッカケに、拓郎は、優れたミュージシャンたちを触媒にフォークという狭いジャンルを超えて、その才能を遺憾なく発揮して音楽界を席巻していく。その意味でも、ひとつの旅立ちとなった作品だろう。

 そして、見事にスーパースターとなった拓郎は、76年フォーライフレコード第一弾の記念すべきアルバム「明日に向って走れ」にこの作品のセルフカバーを収録したが、当時の評判はあまり良くなかった。そもそも当時はセルフカバーなんて便利な言葉はなく、「焼き直し」というミもフタもない言葉しかなかった。一曲でも新曲が聴きたい時に「焼き直し」を入れること、おまけに、原曲に比べて迫力のないそのボーカルが不満の原因だった。
 しかし、ここに深く謝罪しなくてはならないが、時代を経てあたらめて聴き直すとき、このボーカルの素晴らしさは特筆ものである。特に1996年にロスでトラックダウンしなおされたベスト盤「LIFE」では、ボーカルの音量が上げられクリアになっていて、その絶妙なうまさがあらためてよくわかる。思えば76年の拓郎は、つま恋で燃え尽き、離婚し家族を失い、ついでに言えば、全財産を子どもに投げ出し、孤独と憔悴の中にあった。再びすべてを一人で一から始めなくてはならない、まさに再びこの作品を歌うべき時だったのだ。ボロボロになった男が、蘇生しようとその心の傷をそのままに歌いあげる。繊細で、はかなく、陰影のつけられたボーカルは類をみない。拓郎の歌の絶妙なうまさというだけでなく、もう満身創痍の身体全体で歌ってしまっているような切実感がある。

 その後もライブの名演は数あるが、そのひとつが、2003年9月のこと。癌の手術から復帰するビッグバンドツアーを控えた、前夜祭ともいうべきお台場フォーク村のイベントで、アルフィーをバックに歌った時だ。果たして拓郎は歌えるのか!?不安におののき固唾をのんで見守るファン。しかし拓郎は、間奏前のサビ「・・・やっぱり僕は人に揉まれて、みんなの中でぇぇぇぇぇ生きいるのぉさぁぁぁ」のフレーズで特上のシャウトを聴かせて、見事に客席を制圧してくれた。おそらくほとんどのファンには涙が溢れ、さざ波が大波になるように湧き上がる拍手のウエーブが間奏を満たした。忘れられぬ場面だ。
 その歌声を前哨戦として始まった「豊かなる一日」ツアーでビッグバンドによって演奏されたバージョン。CDにも収録されたが、これには歌にも演奏にも幾多の孤独と悲しみを超えて結集されたような盤石な安定感があり、これこそが到達点としてのスタンダード・バージョンといって良いと思う。もちろんそこには優劣があるわけではない。なんといっても不滅のオリジナルバージョン、愛と哀しみの76年バージョン、そして成熟と深奥のビッグバンドバージョン、もちろん他の名演バージョンもある。もちろん武部聡志の「みんな大好き」バージョンこそベストと評価する人もいるだろう、たぶん。それも各人の自由だ。
 基本は、同じ夜を何度も迎えながら一人で生きて行かなくてはならない私たち、それぞれの自分の状況と心に重ねあわせるように、この作品の各バージョンはいろいろな姿で生きつづけている。

2016.5/7