地下鉄にのって
作詞 岡本おさみ 作曲 吉田拓郎
アルバム「detente」
地下鉄より愛をこめて
フォークグループ「猫」の代表曲として知られたこの作品は、もともと拓郎がコンサート前の楽屋で猫のメンバーを前にして即興的にメロディーをつけ、その場でコーラスを割り振り、即演された。即興・即演なんて、天才なんだからもう。
シンプルで骨組みが透けてみえる建物のようにコード進行がくっきりうかぶ。例えば「車輪の悲鳴が何もかもこなごなに断ち切ってしまうもう穏やかな静けさぁに戻れない」・・息つかせぬメロディー。まるで地下鉄がアップダウンしカーブしながらひたすら進んでいく姿そのもののようなメロディー進行が素晴らしい。聴いてよし、歌ってよし、実に幸せな気分になれる不思議なチカラを持った作品だ。
丸の内線は、車輪の悲鳴もない静かな電車になったし、四谷から新宿は中央線の方が早いのではないかというツッコミどころを超えたスタンダードだ。岡本おさみは「嫌でも降りる駅がくるでしょう。狭い車内、限られた時間。そこで起きる、ややこしい関係を表現したかったんです」と語る。確かに迂路であったり、ややこしかったり、でもしっかりと進んでいくところは、まるで人生そのものだ。
拓郎の本人歌唱バージョンが発表されたのは、ずいぶん遅く1991年のアルバム「デタント」になってからだ。正確には74年の「今はまだ人生を語らず」のためにレコーディングされたのだがオクラ入りになった。どこのオクラにしまってあるんだSONY。また81年のラジオ企画、小室等・井上陽水との「ニューヨーク漂流」では、拓郎は現地の地下鉄の前でこの曲を弾き語った。実にカッチョ良かった。単独弾き語り歌唱は、哀愁と情感がこもっており拓郎本人の歌のうまさが際立っていた。非公式ながらこれがベストバージョンではないかとすら思う。
さて、なぜ91年になって本人がレコーディングしたかについては、当時のインタビューで「田口(清)が好きだから(笑)」とだけ答えた拓郎だった。
しかしその3カ月後、アルバム「デタント」を引っ提げた全国エイジ・ツアーの真っ最中に、田口清は不慮の事故で卒然とこの世を去った。幼子を一緒に乗せていた自転車が転倒した時、瞬時に子どもを庇って自分の頭を強打したのだった。
ステージのMCで突然「地下鉄にのって」を弾き語った拓郎は「今、この歌を歌った田口が死にそうなんです。なので今、必死で念力を送っているんですが」と語った。そして何日か後、念力も及ばず田口清が亡くなった時、拓郎は、別のステージで、そのことを報告し、セットリストになかった「祭りのあと」を歌った。
拓郎のカバーと田口清の急逝。間違いなく偶然であるものの・・・田口清の早すぎた旅立ちを見送るこれ以上ない手向けになっている。田口清は、この作品と「田口なんか、とにかく手だけ動かして殆ど弾いておりませんが」という名盤ライブ73のMCとともに永遠に生きているのだ。 浅田次郎の小説で映画化もされた「地下鉄(メトロ)に乗って」のあとがきに、浅田さんは、この歌と小説は関係がないと記している。しかし、拓郎と田口清の時空を超えた運命的な話は、この小説にも重なるような気がしたりする。
それにしても丸の内線や東京メトロが、なぜこの御大の名作を放っておくのかがよくわからない。
2015.11/9