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ビートルズが教えてくれた

1973年
作詞 岡本おさみ 作曲 吉田拓郎
アルバム「伽草子」/アルバム「吉田拓郎 ONE LAST NIGHT IN つま恋」/DVD「Forever Young 吉田拓郎・かぐや姫 Concert in つま恋 2006」

BをTに一斉置換して聴く、それも自由だと・・・

 1990年1月の武道館ライブの映像。バックステージのシーンで、本番前の拓郎が、本番そっちのけで、「打ち上げパーティーの余興用の譜面」を書いていて怒られるシーンがあった。
 譜面はビートルズのIf I feel とI saw her standing there。これを井上陽水とデュエットしたという。拓郎と陽水のビートルズ・ナンバーのデュエットは頻繁らしく、この二人はビートルズによって緊結されているかのようだ。それだけビートルズは、同時代的にとてつもなく大きな存在なのだということがわかる。
 この作品は、ビートルズのフォロワーズバンド「バッドボーイズ」に提供され(おっ、さっきの映像でビートルズの楽譜を書く拓郎を叱っていたのは「清水仁」だった)、新六文銭でも演奏され(「リブヤング」の映像)、本人歌唱によっても、あのカッコイイ、イントロのギターフレーズとともに大事なスタンダード曲となった。最近は演奏しないと思ったら、つま恋2006の大事な場面でその威容を現し健在ぶりを示した。

 と、ココまで書いて不遜な話で申し訳ない。ビートルズは偉大さは当然のことだが、この世の歌手には「吉田拓郎」と「それ以外の歌手」の二種類しかないと信じている私のようなシンパには、「ビートルズがぁぁ」と連呼されても、今一つ心に響かない。仮に「ずうとるびがぁぁ」と歌われていても気づかないくらいだ。>歌わねぇよ誰も。
 しかし最近になって、田家秀樹氏の「西日本新聞」の岡本おさみのインタビューを読み、遅まきながら変わった。岡本氏は、この詞は、ビートルズの2つメッセージが柱になっていると語る。
 ひとつは、いかにも陰気で深刻で考え深そうにしているよりも、陽気であることの方が大切だということ。もう一つは、勲章貰おうと女王陛下と何しようが思いっきり自由なんだということ。自由のわりには、「つきあう」「モノにする」でモメた経緯もあるし、つい最近も勲章を貰って不自由になってしまったシンガーもいたが。それはそれだ。  つまりは「陽気さ」と「自由さ」に裏打ちされた「素晴らしい音楽的才能」こそがビートルズということになる。そう思うと、これは、当時の拓郎の状況にもシンクロする。陰気で考え深そうなお説教の世界は、当時の「フォークソング界」そのもの。その中で、ポップで陽気な拓郎は、浮きまくっていた。
 そして、ヒットチャートを席捲し、スターになり、軽井沢の教会で結婚し、ジャガーを乗り回す拓郎に非難が向けられる。「そんなの自由じゃないかよ」と反論するとお返しに「帰れぇぇ」と炎上コールをガンガン浴びることになった。
 「陽気」でいること「自由」であることの大切さを誰より切実に感じていた拓郎だったのではないか。そこに拓郎がこの作品を愛してやまない本質があるのではと下種勘を飛ばす。
 そして「陽気」「傍若無人な自由」そして「音楽的才能」この三要素はそのまま「吉田拓郎」の重要な構成要素である。すると、この作品への思い入れも変わってくる。この「ビートルズ」と「吉田拓郎」は、陽気さ、自由さ、そして最高の音楽的才能という点でイコールなのだ。この作品の「ビートルズ」に「吉田拓郎」を読み込んで一括置換して解釈すべきなのである。どうだ!?>なーにが、どうだ!?だよっ!
 大切なことは拓郎がすべて教えてくれた・・・そのスピリットでこの作品を味わいたい・・・すげー勝手だが、それも自由だとビートルズは、きっと教えてくれる。。

2015.11/1