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晩餐

1973年
作詞 岡本おさみ 作曲 吉田拓郎
アルバム「よしだたくろうLIVE'73」

戦争もありふれている、平和もありふれている

 名盤「ライブ73」中では、ヘビー級の作品のひとつ。扇情的なブラスセクションが唸るビッグバンドの部厚い演奏も凄いが、それを凌駕する拓郎のまさに雄叫びのようなシャウトには圧倒されるしかない。
 ライブ73は、11月26日、27日の2日間公演で、アルバム収録の「晩餐」は2日目のテイクだ。1日目に、もんの凄いシャウトでガナってしまったため、2日目はだいぶ抑えたということだから、これでも控えめらしい。どんだけシャウトしたかったんだ、拓郎。そもそもテレビを眺めているの夕食の食卓に、なんでここまで絶叫しなくてはならないのか。献立は何だ、松坂牛一頭か本まぐろの解体ショーでもやっているのか。いみふ。

 この作品のテーマは、言うまでもなく「ある種のウシロめたさ」だ。キナ臭い戦争の準備のテレビニュースを食卓で観て、何もしていない自分、あるいは若いころには糾弾の運動にいた自分がその前線から逃げ、こうして平々凡々に暮らしているヤマしさ。
 そして、そういう自分へのどうしようもない苛立ち。この自分の中の激しい苛立ちこそが、この作品のハードな演奏とシャウトの源泉となっていると思う。松本隆の「白い部屋」も、曲調こそ違うが同じテーマだ。しかし、松本は、「米空母ミッドゥエー」に対して岡本は「岡山で運ばれる戦車」、松本は、テレビの前で女性と艶やかに戯れているが、岡本は、食卓でお茶を飲んでいる・・・見事に、対照的だ。どっちが、どうなのよ。関係ないか。ちなみに、同世代の石原信一の「裏窓」も然り。「オーボーイ」にも「裏切り者や卑怯なヤツと呼ばれなければ、暮らしもできず」とあり同じ心情を描いている。
 この種の鬱屈したウシロめたさを率直に描く歌は世代的なものなのだろうか。それとも最近もあるのだろうか。何もしない、できない、逃げてしまった自分へのウシロめたさを歌う歌はあまりないのではないか。
 おそらく、同じテレビニュースを見ている情景にも、やましさはなく「何もできないからせめてボクの愛だけ届いておくれぇぇ」「ボクの平和を祈る心で包みたい」とかあっけらかんと歌う歌ばかりではないかと推測する。いい悪いは別にして、何らかの地獄を見た人間の歌詞は強いコシがある。そういう歌とは今やなかなか出会えない。
 詞といえば、拓郎は、最初にこの詞を読んで、もともと字余り無敵だったが、「岡山で戦車が運ばれると」のところはさすがにメロディーつけられるか不安だったそうだ。
しかし、これだけのグルーヴに仕上げる音楽的才能と言葉をねじ伏せる勢いはつくづく素晴らしい。

2015.11/3