熱き想いをこめて
作詞 吉田拓郎 作曲 吉田拓郎
アルバム「Shangri-la」
アメリカがすべてだなんて言いませんよ
拓郎くらい作品数が多いとそこそこの名曲にもかかわらず、どうしても影の薄い作品というのが出てくる。この曲は、1980年にロスで録音された「Shangri-la」の一曲だがどちらかというと地味で目立たない。
拓郎は当時このアルバムの中で「一番ボクらしい曲」と評していた。詞・曲ともパワフルなロックでありステージ映えしそうな大作である。特に詞が秀逸だ。拓郎は、自他ともに認める人間観察(ウォッチャー)だと言われる。窓から眺める人々の様子を観察しながら時にシニカルに、時に感動的に描きながら、最後には、暖かな心を寄せる。
「生きてる証が見つかったかい 去りゆく時が何かをくれたかい」
「あなたの悲しみよ 雲を貫いて銀河のかなたに突き刺され」
力が湧くようなフレーズだ。
そして拓郎はただの「傍観者」では終わらない。眺めている人々に自分自身をも重ね合わせる。「おろかなるひとり言」で、丘の上から人々を眺めながら、やがて自分のことにシフトくるかのような視点移動が魅力的だ。
「人の心はそれでも弱くて脆いものだ だからこうして今日もあなたに話しかけている」「若いから何かができるものでもなく 見果てぬ夢を追うほど自分を燃やすのさ」「命のある限り自分を捨てるな 正直者たちよ、かわいい嘘をつけ」これらのフレーズは、生きることに対するポジティブで力強いアシストを孕んでいる。武骨なメロディーもこの言葉たちを追い立てるように活性化させていく。
詞・曲ともに魅力に満ちた本作なぜ地味な扱いなのか。これは、ロスでレコーディングしたことが災いしていると思う。ロスでブッカー・T・ジョーンズとのレコーディングは拓郎のルーツである“R&B”のソウルを求めてのことだったが、実際のブッカーは上品で端正な人であり期待が外れたとのことである。
という問題以前に、「全体的にこの演奏どうよ?」という評価が多かったようだ。んまぁハッキリ言って演奏が全体にショボイ。これは拓郎も後には否定していない。松任谷正隆は、このアルバムを聴いて真っ先に「アンタはロスでデモテープを作ってきたのか?」と酷評したという。
特にハードなロックの大作となるはずだったこの曲のアレンジと演奏。拓郎はマイケル・センベロのギターが「バンジョーを弾いてるみたいだ」と苦笑していた。確かに、ギターがテケテケテケ忙しく、勝ち抜きエレキ合戦かっ!という落着きのないせわしない印象がある。この詞のシリアスな意味や大作感が、生かされていないというか、逆に損なわれている気がする。OK松任谷にアレンジしてもらって日本のバンドで作った方が良かったのでないかと思わせる。
結局、拓郎は、1980年のコンサートツアーでは、この曲を「弾き語り」で歌った。アルバムのアレンジがやはり厳しかったのか。弾き語りも、言葉のひとつひとつを訴えかけるような心に迫る名演だったが、やはり重厚なロックナンバーとしての活躍の機会がなかったことが残念だ。1980年を最後に以後10年近く拓郎はコンサートでの弾き語りを封印したため、それとともにお蔵入りしてしまったのか。日本の底力を是非。
2015.10/31