新しい朝
作詞 吉田拓郎 作曲 吉田拓郎
アルバム「伽草子」
いつであろうと歌えば、そこから新年だ
1973年のアルバム「伽草子」に収録されているが、もともとは前年72年の大晦日のラジオ「ゆく年くる年」のテーマソングとして発表された。つまり「新しい朝」、「新しい夜明け」は「新年」を意識している。年末に何の曲を聴こうかと迷った時はこれしかない。村岡健率いるホーンセクションのファンファーレに身を正し、新年の禊ぎを迎えたいものだ。
川村ゆうこに提供した「大晦日」という曲もあった。アルバム「クリスマス」には「お正月」も入っていたし、年末年始はこれで完璧だ。さすが吉田拓郎、季節年中行事への対応にもぬかりはない。
拓郎がこの曲について語ったのをあまり聞かないが、批評家の話の時に聴いたことがある。アルバム「伽草子」の中で拓郎が詞を書いているのが、この作品と「長い雨の後に」の二曲だが、アルバムレ・ビューで、この「新しい朝」だけが詞のレベルが著しく低いと酷評されたということだった。どうやら田川律、三橋一夫あたりらしい。このあたりの評論家は基本的に拓郎のことを気に入らなかったに違いない。富沢一誠とあわせて、いつか退治してやらなくてはと思うが。拓郎は、この評価に対して怒るというより、落ち込んでいたのが印象的だ。それが原因かどうかはさだかではないがインタビューなどでは「俺は作詞はプロじゃないから。俺の詞なんて。」という弱気な発言がしばしば覗く。
そんなこと言わないでくれよぉとファンは思う。まぁ例えば「アイランド」みたいなトホホな詞もあるわけだが、プロ野球でも10割打者がいないこと、横綱でも取りこぼしがあるのと同じで、拓郎の詞作の素晴らしさは少しも揺るがない。かつて安井かずみが、拓郎に「拓郎、あなたは詩人よ」と真剣に語ったと言われる。本当に実に惜しい人を失ったものだ。
少し戸惑うのは、最初のバラードの後に突然曲調が変化しアップテンポのロックに変わっていくところである。「俺が愛した馬鹿」もそうだが、音楽的感性の乏しい自分はあそこで、よくわからなくなって曲に置いて行かれてしまい戸惑うことしきりであった。
この曲はライブ73、つま恋75そして篠島と大舞台で、瀬尾一三とビッグバンドによって演奏されたことが多い。実際に、ライブで体験すると、観客は前半のバラードチックな部分で拓郎の歌声にしみじみと聴き入り、アップテンポになった途端、スタンディングし踊りだして一緒に唱和するのだった。拓郎も後半にはこれに応えシャウトしてキレまくる。つまりは前半でタメて、後半で発散させるいわゆる観客参加型の曲であることを改めて認識した。曲調の変化と長めのアップテンポの間奏は、これからノリノリで行きますよぉぉぉぉ!ということのフラグ。ドリフでいえば舞台が回転するときの♪チャチャチャチャンチャカチャンチャンみたいなものだ。ホントかよ。
さてさて、話がそれたがストレートな詞ではあるが決して稚拙ではないと思う。「僕らの足音だけを今は信じて生きよう 広場と広場を結ぶ 小さな道がまたひとつ生まれるさ」いい詞ではないか。「若者の広場と広場に架ける橋」まさにフォーク村のスローガンではないか。
時々、酔った帰り道などでこの歌を無意識に口ずさむ。♪いまこぉそぉ うたおぅおぅおぅ じゆうだよ よあけぇだよぉぉぉぉぉ ここを歌うとなぜかとても快感があるし、小さな元気が湧く。つまらない評論などからは遠く離れてこの歌は生きている
2015.5/10