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明日に向って走れ

1976年
作詞 吉田拓郎 作曲 吉田拓郎
シングル「明日に向って走れ」/アルバム「明日に向って走れ」/アルバム「吉田拓郎 ONE LAST NIGHT IN つま恋」/アルバム「LIFE」

満身創痍の身体ごと歌いあげる深き愛と哀しみ

 1976年3月フォーライフ設立後第一弾のアルバム「明日に向って走れ」のタイトル作品であり、先行してシングル発売された。この歌とこの時の拓郎の置かれた状況は切り離せない。
 前年のフォーライフレコード設立、つま恋75の大成功と歴史的な大仕事の後、拓郎は「もう何もやることがなくなった」とミュージシャンとしては一種の燃え尽き症候群に陥る。そこに加えて離婚という悲痛事。またその離婚発表のラジオ放送の件でもともと険悪だったマスコミとの確執が決定的になる。吉田拓郎を叩きまくるマスコミの記事や見出しが世間に溢れていた。世間の多くが敵に回るような心痛の中、吉田拓郎は75年9月以降「休養宣言」をして沈黙に入った。その長い沈黙を破ったのがこの作品だ。
 「明日に向って走れ」というアグレッシブなタイトルとは異なり、失意と疲弊の中に、なんとか立ち上がろうと苦悶するような作品に聴こえる。後に拓郎は、「あの時は別れがあった。この曲を聴くと良いと思う反面、なんか自分が終わってしまいそうな気分になる」と語っていた。「『ノアの方舟が笑って消えた』こんな暗い詞を書く男なんだよ」と拓郎は自分のことを語っていたことがある。この詞はどういう意味なのか。未来へ託す自分の夢が途絶えてしまったということか。
 意気軒昂な超名盤「今はまだ人生を語らず」の次回作にあたり、それに加えて、つま恋の成功、フォーライフの設立という期待爆発イケイケ状態の当時としては、肩すかしのような残念な印象があったことも確かだ。しかし深い愛に満ちたこの作品のの真価は、時間の経過とともに発揮されていったと思う。全編に漂うどうしようもないやるせなさはハンデにはならず、むしろ作品に得難い深みを与えていると思う。この歌が真に心に迫り、何より優しさがにじみ出ている。あのイントロから入って♪流れるれる雲を追いかけながら・・・この歌いだしの切なさと上手さと言ったらない。出色のボーカルが光る。音楽的に支える松任谷正隆、松原正樹らのプレイの見事さ、まるで抱きしめられているようなやすらぎを持った演奏も逸品だ。
 なおオリジナル・バージョンは、1996年のベスト盤「LIFE」に収録された際、ロスアンジェルスでトラックダウンし直した。拓郎も隠れた音を導き出し得ているこっちのバージョンがお薦めということだ。

   この歌がライブで初めて歌われたのは発表されてから約10年後のつま恋85だった。79年篠島では、直前まで演奏予定曲に入っていたが、演奏はされなかった。なぜライブで歌われなかったか。この歌の背負った厳しい背景事情とともに、この曲はとても音域が広い。邪推だが、たぶん作った本人がライブで歌う自信がなかったのでないか。
 つま恋85のバージョンではその曲調も音域もメロディーも、ガラリと変わっている。こちらのバージョンは力強いロックだ。悲しみを振り切り、まさに勇躍として走り出しているかのような歌だ。特に「後奏」が圧倒される。島村英二氏のドラムのビートが作り上げる舞台の上で各プレイヤーのソロプレイがバトンリレーのように炸裂する。特にオルガンとピアノの速弾きが超素晴らしい。バンドメンバー1人1人が拓郎に対して「どうだ」と挑むようなプレイ。映像では、そのバンドの演奏を胸に刻むように笑顔で観ている拓郎が忘れられない。この作品は80年代前半を拓郎とともに走り続けた鉄壁の「王様バンド」にとってのエンドロールでもあったのだ。
 このようにこの作品は、同じ作品でありながら、オリジナルとライブバージョンで見事に表情が違う。まるで細胞分裂でもしたかのように、この2曲は別の曲といってもいいくらいだと個人的には思う。何かに傷つきどっぷりと深みにはまってしまったようなときにはオリジナル、傷が治って、さあリハビリだという時は85年ライブバージョンと、あたかも処方箋のようにその人のそのときの状態・状況によって聴き分けてもいいのではないか。

2015.5/4