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明日の前に

1976年
作詞 吉田拓郎 作曲 吉田拓郎
アルバム「明日に向って走れ」/「18時開演」

さすらう心根を歌に託すという「コア」をみつめて

 アルバム「明日に向って走れ」に収録されたが、既に前年にマチャアキ(もしかして死語か。いやマチャアキは永遠だ)に提供されテレビで頻繁に流れていたし、拓郎本人もつま恋75で本人歌唱を披露していた。比較的地味系の作品だが、支持者の多い名曲だ。拓郎珠玉の三拍子。なんといっても拓郎自身の詞が心をとらえる。マチャアキがテレビで歌うときはテレビサイズで、4番まである歌詞の1番と4番だけを歌っていたため、最初はあっさりとした印象だったが、全ての歌詞を聴くと格段に歌の深みが増してくる。
 人生の荒波に翻弄され、さまよい、傷つき、疲れて果てて立ち尽くす。「いろんな言葉にまどわされました枯葉の舞う音も覚えています」「貧しい心で生きてみます 壊れた夢も抱きしめて」「傷つけあうよりも確かめ合って」。実に繊細な歌詞だ。  そして、さまよいながらも最後は「溢れる悲しみを笑いに変えて さすらう心根を歌に託して」と再び明日に向かう。こんなふうに拓郎が一人称で「自分の歌手人生」を歌う曲はそんなに多くない。だからこそ余計に胸に迫る。「さすらう心根を歌に託して」これでキマリである。これぞ吉田拓郎のミクロでありマクロではないのか。
 考えてみると当時29歳の若者の詞としてはあまりに老成しすぎている。「早送りのビデオ」に歌われるようにデビューからの5年間は、怒涛のように事件が起き、いかに濃密な時間だったのかと思わざるを得ない。私なんかには想像すらつかない。作詞家の阿木耀子が「拓郎さんはたった何年かで何十年もの時間を生きたのよ」との指摘は的確だと思う。

 これは個人的好みにすぎないが、アルバム「明日に向って走れ」の本人歌唱は貴重だが、この作品については松任谷正隆のアレンジがいまひとつ冴えない。アルバムの傷心のテイストには適合しているとは思うが。
 瀬尾一三によるオリジナルつまりは「マチャアキ」と「つま恋75」のアレンジ」の方は、昭和歌謡のようなベタさがあるが、それがまた美しい。そうそう研ナオコも、拓郎作曲の「六本木レイン」が提供される3年前の82年にオリジナルの方のアレンジでカバーしている。マチャアキからのカックラキンつながりか。
 いずれにしても、このようにアレンジと本人歌唱の微妙なミスマッチが長いこと残念だったのだが、はからずも、2009年、最後のコンサートツアーで「マチャアキ+つま恋75アレンジ」での本人歌唱が実現し快哉を叫ばずにいられなかった。ああ、もう好きな人にはこの海原をゆったり漂うようなイントロから胸わしづかみである。ビッグバンドのスケールメリットも生かされ、安定した壮大感のある演奏。泣けとばかりに、ゆっくりと揺さぶりをかけてくる。しかも、アルバム「18時開演」できちんとCD音源化までされたという至福である。生きててよかった、拓郎ファンでいてよかったと思う瞬間のひとつだ。歌い手も聴き手も、それこそ、どれだけ歩いたかわからないくらい、人生とともにめぐりめぐり、その30年をかけて完成されたバージョンような気がする。

 余談だが、75年のNHK紅白では、マチャアキが白組で「明日の前に」を歌い、紅組は森山良子が「歌ってよ夕陽の唄を」を歌った。拓郎本人こそ出ていなかったが、とても拓郎な紅白でもあった。

2015.4/26