朝陽がサン
作詞 吉田拓郎/福岡英典 作曲 吉田拓郎
アルバム「こんにちわ」/シングル「いくつになってもHappyBirthday」/アルバム「豊かなる一日」
トホホ気分なれども身体は踊りステップを踏む
拓郎はチャレンジャーだ。イベントにしても作品にしてもいろいろなチャレンジを試みる。そしてチャレンジャーのファンも否応なくチャレンジに付き合わされる宿命だ。2001年インペリアル移籍後初のアルバム「こんにちわ」の目玉曲のこの作品もひとつのチャレンジだ。
発売の半年前の高見澤俊彦とのテレビトーク番組「T×2ショー」の第一回の放送で、拓郎は「僕の次のアルバムの一曲目は「朝陽がサン おはようサン」という歌に決めているんだよ」とドヤ顔で不敵に笑っていた。チャレンジする時の拓郎の顔だった。このチャレンジ曲「朝陽がサン」を前にしたファンの反応は二通りだった。「おっ、また変わった曲でなかなか面白いなぁ」という陽性の反応。もうひとつは「おいおい、せっかくLOVE2で知名度上がって、インペリアル移籍アルバム第一弾という大事な時に、なんじゃこのヘンテコな曲はっ!」という陰性の反応。みなさんはどちらだっただろうか。私は確実に「陰性」だった。
たぶん拓郎は「陽性」反応のファン=ウェルカム、「陰性」で文句タレるファン=大嫌い・・に違いない。それにしても「社会の皆様おはようサン」では、いかにチャレンジとしても自分としてはかなりトホホな気分であった。
但し、詞を捨象して聴き入ると、思わず身体がスウィングするような卓抜したメロディー、久々の鈴木茂のギターに奮い立つサウンド、実にカッコイイ器であることに気づく。この詞でなくてはならなかったのか?朝の歌は「おはよう」があればいいじゃないか。もっとシリアスな詞をつければ・・と余計なことを考えてしまう。いずれにしても悲喜こもごも別れた曲であったといえる。
この作品に再注目したのは、2002年のNHK101「吉田拓郎デラックス」つまりは翌年から続くことになる瀬尾一三とビッグバンドの初お披露目の時だ。素晴らしいライブだった。凄いライブを観た感動と熱気が冷めないファン同士の打ち上げの時、「陰性」だったみんなの意見がキレイに一斉転換した。ツベリクリンでいう「陽転」というやつだ。「こうして聴くと『朝陽がサン』凄く良くね?」「良かったよぉ」「サウンドがすげーカッコイイ」「拓郎のラフな歌い方もイイ」・・・絶賛の嵐だった。
出た。拓郎の得意技、曲のショボさやマイナス(あくまで個人の感想だ)をライブでの迫力で強引に説得してしまう荒技である。今度もしっかりと技をかけられた感が強い。
そして三度目のこの曲との出会いはとても切ない。2004年の中野サンプラザホール。この曲の途中で拓郎は座り込み、客席に背中を向けたまま立ち上がれなくなった。拓郎はとうとうこの曲を歌えず袖に消えた。突然の事態に狼狽した私や周囲のファンは、思わぬ豪華な生カラオケ状態になったこの歌を拓郎の代わりに熱唱した。そうすることしか考えられなかった。あの時の状況は忘れようとしても忘れられまい。しかし、拓郎はしばしの中断のあと見事に最後まで歌い切った。かくしてこの歌は忘れられない歌となってしまった。
「なんだこりゃ」と思った歌を、ライブで説得されて見直し、ついには忘れじの曲になって心に刻まれてしまう。結局、私はチャレンジャー拓郎のなすがままだ。そんなことを思い知る作品。
ちなみに、作詞が共作なのは、当時の朝日新聞のCMソングと被ったための著作権対応策に過ぎず、拓郎の単独チャレンジであったことは変わりない。
2015.4/18