uramado-top

ありがとう

2001年
作詞 吉田拓郎 作曲 吉田拓郎
アルバム「こんにちわ」

YOUたち最高だったよ

 2001年3月のアルバム「こんにちわ」に収められたこの作品は、ちょうど同じ月に最終回を迎えた「LOVE2あいしてる」にあわせるようにKinkiKidsの二人に対して送られた曲だ。
 「この胸いっぱいのありがとうよ 君に届いておくれ」・・・何のてらいもなく、何のヒネリもなく、二人の少年へのまっすぐな感謝が歌われる。
 拓郎とKinkiKidsの関係とはいったい何なのだろうか。30歳を超える年齢差、20年を超えるキャリアの懸隔。しかし、彼らは先輩後輩でも師匠と弟子でも親分子分でもない。拓郎がKinkiKidsのことを話すときの手放しの嬉しさと無邪気さ。それでいて拓郎は常に一定の距離感というか相手への礼節を忘れない。強いて言えば「友人関係」というのが近いのか。「共に笑い合った時をずっと忘れたりはしない。多くの勇気と多くの夢と生きてく力と出会う喜びを」まさしく卒業式の同級生へ送るような歌。この年齢差でこんな関係が結べることは稀有なことだ。
 拓郎は語る。「勇気はいったよ。吉田拓郎っていうプライドもあったし。そう、彼ら(Kinki Kids)の魅力に負けてね。教わることが多くて、僕の文明開化が始まったんです。ダメだ、このままじゃオヤジになっちゃうって気がして」。このように多くのファンの顰蹙と世間の失笑を買いながらも勇気をもって飛び込んだ拓郎の英断だった。
 もうひとつは「音楽」の絆があったのだと思う。当初は「吉田拓郎がヘラヘラとテレビに出てる」と非難されたりもしたが、それはドラマでもバラエティーでもない「音楽番組」だったことを忘れてはならない。毎週30分(2曲)の収録ために拓郎は収録日以外に必ず一日全員でのスタジオ・リハーサルを欠かさなかったという。これは経済性・効率性を重視するスポンサーやテレビ局、多忙な出演者関係者にとっては頭の痛いことだったいう。しかし「音楽」を伝えることに拓郎は手を抜かなかった。アーティスト魂を見せ、Kinki Kidsらに音楽を通じて伝えたものは大きかったに違いない。
 松本隆はかつて番組が始まったころは拓郎の出演に否定的だった。しかし、最近(2010年)、Kinki Kidsと話した時にこう述懐する「Kinki Kidsはアイドルではなくちゃんとしたアーティストとしての感性持っていることに驚いた。拓郎と付き合ったことは大きかったのだと思う。」と語る。
そして片や、この番組によって蘇生した御大は、そのままよくあるようなテレビタレントやテレビの奴隷にはならずに、音楽家としての大いなる本道を再び歩続けるのだった。その生き方は、かの若者たちに恥ずかしくないどころか、必ずや尊崇されているに違いないと確信する。
 2007年のCOUNTRY ツアーの告知テレビCFにはこの曲が使われていた。実際にはツアーでは歌われなかったが、この歌を思った拓郎の心情が偲ばれる。いずれにしても好き嫌いは別にして拓郎ファンはKinki Kidsに対して三顧の礼をもって接しなくてはならない。

2016.1/9