アン・ドゥ・トロワ
作詞 喜多条 忠 作曲 吉田拓郎
アルバム「大いなる人」
あなたたちのイエスタディよ永遠に
言わずと知れた「やさしい悪魔」に続くキャンディーズへの77年9月の提供曲。ほぼ同時期の77年11月のアルバム「大いなる人」に収録された。
既にキャンディーズの解散は翌年春に決まっており「ばいばいキャンディーズ」と副題が付けられている。折しもキャンディーズが解散宣言をした直後にキャンディーズのレコーディングをしていたそうだ。拓郎は歌唱指導の時に偶然とはいえ「解散宣言」と旅立つ女性の決意を歌った「アンドゥトロワ」の歌詞とが見事に一致したことに胸が熱くなったと語っている。キャンディーズの解散記念のレコードのブックレットに、拓郎は作曲家と言う肩書のネクタイ姿でコメントを寄せていた。
とはいえ「ホントに解散するのかい?」と問う拓郎に、キャンディーズは冷淡に「宣伝部を通してください」とツレない態度で拓郎はトテモ悲しかったそうだ。
そもそも拓郎はキャンディーズのレコーディングは楽しかったと述懐するが、当のキャンディーズは当時のインタビューで「拓郎さんの歌唱指導がとても厳しかった」「拓郎さんから怒られて辛くて泣きながらレコーディングした」と語っており、キャンティーズが楽しかったかどうかはわからない(笑)
さて、御大の本人歌唱は、二番だけをあっさりと歌い、最後に「さよならキャンディーズ」と歌唱する。なんじゃこりゃ。鈴木茂ら名うてのミュージシャンが揃いながら、フルバージョンを録音しておかなかったのは失策もいいところだ。前作「ぷらいべえと」で「やさしい悪魔」をカバーしたばかりなので、またキャンディーズを歌うことを「あざとい」と批判されることを予想したのか。あざといもんか。こういうところで微妙なテレが入ってしまう御大が歯がゆい。
それほどにキャンディーズのファンのみならず一般の市井の人々にも「やさしい悪魔」とこの作品の名曲との評判が高かった。私の周囲でも、えーっ拓郎にこんなメロディアスな名曲が作れるのかと刮目した人は多かった。拓郎ファンとしては「これって拓郎の曲なんだよ」とドヤ顔をカマす格好の機会だった。それだけに繰り返すが中途半端な収録は残念でならない。
キャンディーズ盤のこの作品の最初のアレンジは、ギターサウンドで、拓郎のデモテープに忠実に作られていたが、あまりに地味すぎるということで、今も公式盤として世に出ているキラキラしたシングルバージョンに差し替えられた。トホホ。後にこの拓郎のデモに忠実な最初のテイクは「アン・ドゥ・トロワ パートⅡ」としてボーナストラック扱いで収録された。最初に出来たのに「パートⅡ」とは、弟が先に完成したメカ沢くんのようだ。知らんわな。
名曲であることは変わらないが、御大の手作りの香りが漂うこちらのテイクの方が音楽的には圧倒的に素晴らしい。しっとり感がたまらない逸品だ。
なおキャンディーズでは「恋という名のピエロが踊る」という歌詞が、拓郎のデモでは「秋という名のピエロが踊る」となっていた。秋深まる中で、しっとりとした大人の落ち着いた楽曲を目指していたことが窺える。
もともとナベプロの渡辺晋社長から「キャンディーズ大人化計画」ということで抜擢された吉田拓郎だが、当のキャンディーズが一気に大人化しすぎて引退してしまうことになり、図らずも拓郎もこの歌も解散引退の花道を飾る予想外に大きな役割を負わされた一曲になってしまったようだ。とはいえ拓郎の紡ぐメロディーの素晴らしさを普遍的な形で世に残すことができた貴重な作品であることは確かだ。
御大は、アルバム「大いなる人」のプロモーションの時、この本人歌唱について「もう二度と帰ってくるな」という思いをこめて歌ったと語っていたが、個別にカムバックはしたものの、とうとう三人のキャンディーズは永遠の幻になってしまった。
そういえば、しょーもない映画「結婚しようよ」だったが、中ノ森文子が「アン・ドゥ・トロワ」を歌うシーンだけは、その歌声とあらためての曲の美しさに鳥肌が立った。 せめて素敵な若者たち、どんどんカバーしてちょーだい。
2015.10/17