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I'm In Love

1983年
作詞 吉田拓郎 作曲 吉田拓郎       
アルバム「情熱」/シングル「情熱」/アルバム「吉田拓郎 ONE LAST NIGHT IN つま恋」/アルバム「LIFE」

歳月が深めていく至極のラブソング

 外人バンドとのツアーのドキュメント・ビデオ「1996年秋」で、キーボード奏者のクレイグ・ダーギーが語る。「拓郎のメロディーは素晴らしい。特に、妻のために書いたあの曲、あの曲は実に美しい。」と「I'm In Love」を絶賛する。そのとおり実に美しいメロディーのラブソングだ。
 しかし1983年アルバム「情熱」のシングルカットとして発表された当時、自分を含めて、素直にこれを絶賛できたファンというのは少なかったはずだ。それは非情な売上枚数 が示している。「このまま世界の終りが来てもかまわない 君と一緒に死んでいけるなら すべてを許そう」というショッキングなフレーズ。拓郎に、”この世界をどう生きてゆけばいいのか”という熱いメッセージを求めていた当時の私のようなファンには裏切られたような 失望感があったし、森下愛子との関係がスキャンダルとして世間に叩かれていたことも、この歌にとっては負の要素となったはずだ。
 しかし、それから幾星霜を経て、お二人は世間も羨むおしどり夫婦となり、それとともに曇り空が晴れるように、二人を結びつけたこの曲も再生したような気がする。先のドキュメントでも、拓郎夫妻の仲睦まじい様子のバックでこの曲が流れる。まるで一篇の映画とそのテーマ曲のようだ。映像の最後で、片寄せて歩く二人の後ろ姿を見ていると、不思議に涙がこみ上げてきそうになる。おそらくは、歌う方も聴く方も時間の流れの中でしみじみと味わうことができる一作として転生したのか。
 後年拓郎が語ったところによると、この歌の背景として、もし世界の終りのような天変地異が起きたら、当時の二人のそれぞれの住まいの中間点「祐天寺」で落ち合おうという約束があったという。もうこれはただのラブソングではなく、災害時の避難方法というセキュリティなメッセージソングだったのだ。さすがだぜ御大拓郎。「高円寺」の姉妹作「祐天寺」でもよかったのではないか。なんだそれは。
 つま恋85では、この曲の最後♪you never foreverのところで拓郎が「愛してるぜ!」とアドリブが入る。理屈抜きで、カッコイイ。隣のヤツがすかさず「オレも愛してるぜ!」と叫んで周囲の失笑を買っていたが、今思うと依怙地になってた私なんかと比べて、とても正しいファンだったと思う。とにかく至極のラブソングだ。

2015.4/10

 ギターの青山徹が自ら「今夜一晩考えさせてくれ」と持ち帰り、熟考の末に彼が弾いたギターソロは、それはもう実に素晴らしいメロディーで感動させられたと御大は「拓つぶ」で述懐した。 「微妙にディストーションのかかった甘い音色」そして「どんなギタリストであろうと絶対に他の誰かでは弾けないフィーリング」も青山が考えついた究極のギターソロと絶賛する。まさにベストテイク。この逸品が、私を始めとした偏屈なファンの多くからは大歓迎で迎えられなかったという当時の不幸を思う。御大は内心寂しかったろう。いや、これはあらゆる逆風の嵐の中、御大が、たったひとりのために捧げた、ゆるぎない信念の作だったに違いない。今は心からその美しさを讃えたい。

2017.9/8

 2年間の”ラジオでナイト”は音楽を語る番組であるとともに、吉田拓郎にとっての“きみに読む物語”だったのだと思う。番組で繰り返される仲睦ましいご夫婦の日常エピは昔の暴れん坊将軍の吉田拓郎の残像が脳裏に焼きついている私には正直なんだかなーと戸惑うこともあった。しかし、やがて同じラジオの中で明らかにされてゆく吉田拓郎夫妻の20年余りの物語が垣間見えてくるにつれて変わってくる。

 「(From Tの)ライナーノーツにも少し書いたけど肺がんの手術とそれ以外にも二つ大きな大病している。こういう話はあまりしたくないけど。そんなときに、笑顔で支えてくれたことに対し奥さんに人間として感謝している」(第73回 2018.9.23)
 「大病」の意味がこの時はまだよくわからなかった。しかし忘れようとて忘れられぬ衝撃の2019年3月24日第99回。詳細は繰り返すまい。"その苦闘は言葉では言えない。非常に苦しい。食べ物は喉をとおらないし、喉が非常に痛いし、声も出ない。半年くらい苦痛が続いた。もう歌えないと何度も思った。カミさんが黙々とそういう日常を静かに支えてくれた。必ず完治するから、一日一日一歩一歩だから大丈夫だから・・・"

 ラジオで語られたのは、拓郎が助けられた話だけではない。7年間、逗子で家も建てそこで終生暮らすつもりだったが、奥様の病気のために東京に転居することを考える。「そうすれば妻は良くなるだろうかと先生に問うと「賭けだけど僕は治ると信じてる」と言われた。 厳しい決断だった。妻と妻の母に話して、もう一度東京に戻った。すると妻の病気が快方に向った」(第30回 2017.10.29)
。  この話も忘れられない。何の保証もないのに、ひとえに妻の健康回復のためだけに終の棲家を投げだせる男がこの世にどれほどいるだろうか。

かくして自分にとっては軟弱・不謹慎の極みとして大嫌いだったこの曲がコペルニクス的転回を遂げる。昔の自分の視野が大いに狭かったこともあるだろうが、垣間見えた吉田夫妻の歳月の旅路がこの作品を成長・進化させたことも大きいのではないか。"もう歌えない"と絶望したというボーカルがここまで蘇生し、その出色のボーカルで歌いかける究極のラブソングを私たちは目にし耳にしたのだ。まさに私なんぞが立ち入る隙もない”きみに読む物語”である。
 その2019年のライブVer.のアウトロの武部聡志のピアノがそんな物語の結晶を見せてくれているかのようだ。なんと抒情的で美しいことか。青山徹の不滅のギターアレンジに、この武部聡志のピアノが時空を超えて施されrefitされてゆく。そんな演奏もまた歳月がつくるドラマのようだ。

2019.9/28