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アゲイン

2014年
作詞 吉田拓郎 作曲 吉田拓郎
アルバム「AGAIN」/DVD+CD「TAKURO YOSHIDA 2014」

過去と未来を結ぶ美しき器、未完でどこが悪い

 「アゲイン」は不思議でとらえどころのない作品だ。どちらかといえば地味な作品で、特別に凝った言葉やフレーズが配されているわけではない。メロディーも「慕情」の使い回しみたいだと悪態までついて申し訳なかったが、小品ながら妙にキラキラと煌めくオーラを感じる作品だ。
 セルフカバーアルバム「AGAIN」で居並ぶ旧知の作品群の最後に静かに鎮座するこの作品は、あたかも透き通った美しい器のように思える。懐かしい作品や「若かった頃のこと」までもが、そこに注ぎこまれていく。注がれた過去の日々や作品たちは、その透明な器を通じて光を当てられて再び煌めき始めるかのようだ。
 2014年のライブもそうだった。このアンコール最後の「アゲイン」に向ってライブのセットリストの楽曲たちがすべて収斂していくさまを眺めるようだった。そして「アゲイン」で総括されたコンサートの楽曲たちが新たに輝きだすような見事なライブ構成だった。
 それにしてもフツー「未完」でCDにするだろうか。そんなことを許されるのは、世界で御大とシューベルトだけだ。未完の作品であることで、あたかも聴き手の私たちの心に向って何かが投げかけられたかのように錯覚する。聴き手は、未完であるがゆえにその未完成な余白に想いを巡らせる。「若かった頃」「若かった歌」を反芻する。懐古趣味のようだがそれとは違う。過去も自由も抱きしめて、どうやって歩いていくかということを決然と歌う作品だ。
 そのままの気持ちでライブに赴くと、蘇生した新しい歌たちとともに最後にかの「煌めく器」の完成版を体験することになる。固唾をのんで聴き耳を立てる完成部分。「僕らの夢は」と歌われた瞬間に胸わしづかみとなる。ひとりで反芻していた余白を拓郎と共有したような気分、一緒に歩き出すかのような気分になる。未完CDから完成LIVEへの流れは実に貴重な体験だった。当たり前だがCDは発売日に買うという基本の大切さを思い知る。もちろん、単に間に合わなかっただけだろうが。それにしてもただの遅刻で、人にこんなに夢と妄想を与えられるのだからさすが御大は大したものだ。このオーラのある作品は、さらなる進化と活躍の場があるのだろうか。

2016.2/6