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a day

2016. 4. 5

現在の現在。この日があってすべてがある。御大がこの世に生まれて来てくれたこと、音楽に生きつづけてくれたこと、そして70年経った今もギターだこの手で新曲を作りステージを目指してくれていること。心からの感謝とお祝いを申し上げます。

しかし、きっと私だけでなく多くのファンは、この日だけでなく日々毎日、そんな御大への感謝とお祝いと応援というお誕生日気分をこめて生きている気がする。そういう変わった奇特な人々のことをファンというのかもしれない(笑)。というわけで御大は鬱陶しいでしょうが、今日だけでなく毎日が誕生日の気分で御大を讃えながら、御大の背中を見失わないようについて行きます。どうか"長寿と繁栄を"。

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2016. 4. 6

現在の現在。昨夜はとりあえずお誕生を寿ぐため行きつけの神楽坂の地下の居酒屋で静かに一献。「大事な人の誕生日なんだ」といったら、ヒロシマのお酒と界隈の桜をお椀に入れて花見酒にしてくれた。なかなかオツなアキタ料理長。御大はどこで誕生日を迎えたのだろうか。
あれから10年。還暦の時は、前ノリの大分の居酒屋だったそうだ。私もホテルから尾行したのだが失敗した(笑)。翌日のiichikoホールのコンサートでは、ビッグバンドによるサプライズのハッピーバースディの演奏と会場唱和に、御大はいくハピのサビをお返しでサラリと歌ってくれた。あっさりと還暦をかわした感じだ。記念日嫌いの御大は既にその先のつま恋やもっと先を観ていたに違いない。
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2016. 4. 7

現在の現在。「ニッポンの編曲家」を読む。読みながら音楽について自分がいかに何にも知らないかをあらためて思い知る。「下町ロケット」で、華々しい宇宙ロケット打ち上げの裏で優秀な技術者集団が格闘するのを観ているようだ。島村英二氏の珍しいインタビューも読める。その仕事一覧を観て、御大の作品だけでなく、いかにいろんな曲で島村さんにお世話になってきたかその凄さががわかる。「楽曲にとって一番大事なことは、曲の中にあるはずだと思っているから、できるだけ聴きこんでいく」。胸鷲掴み。かっけーぞ、島ちゃん。

レコードのクレジットで編曲者を入れたのは御大が初めてという噂を聞いたことがある。いずれにしても彼ら技術者集団を御大がいかに大事に考えていたかは、素人にも伝わってくる。

2016. 4. 8

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現在の現在。森下愛子さん、お誕生日おめでとうございます。今から30年くらい前、夕日さす高田馬場駅のホームをトボトボ歩く私の前を赤いワンピースを着て風のように横切って行かれた。初めて観る本物の女優の姿にしばし茫然としたものだ。とにかく背筋がピンとまっすぐで別世界の方のように美しかった。まさか御大とご夫婦になろうとは思いもしなかった。これからもwoo babyでお幸せに。


あれから38年。深夜放送セイヤング開始。多感な時期だったこともあり一番想い出深い。番組開始時、社長業のため音楽の一線から退いていた御大。それが音楽へと向かい始め松本隆らと名盤「ローリング30」を創り上げていく、そしていよいよ決起して超絶なコンサートツアーと篠島のイベントに臨み音楽界に返り咲き、ロスのレコーディングに挑み、いよいよ80年代に新曲だけのツアーに出ていくところで番組が終わった。まさに1人の男の復活劇、迫力のある大河連続ドラマを間近で観続けたようだった。

2016. 4. 9

あれから28年。SATETOツアー初日。御大がライブステージに帰還。落陽も外白も代表曲が一切ない選曲、座って聴くステージ、サッポロ★ドライ、この帰還をどう迎えたらいいのか戸惑った。この彷徨える戸惑いはこの後もしばらく続くことになる。

あれから10年。四国・九州シリーズ鹿児島。こちらは盤石だ。初めて見る桜島にも感動。同郷の森進一が離婚でモメていた時で御大のMC「森進一、慰謝料ケチるなら襟裳岬を返せ!!」にウケる(笑)。亡くなったファンのK君と谷山小学校に行く。校庭の土を袋にせっせと詰めるK君。甲子園か。学校前の文房具屋で谷山小の名札を買うK君。名札に御大のサイン貰うつもりだったらしい。そんな熱烈な君がなぜ先に逝く。御大は今も元気で歌っているんだぜ。

2016. 4. 10

現在の現在。御大に続いて、昨夜の「地球劇場」での小室等と谷村新司の穏やかな二人を観た。今頃になって率直で恥ずかしい質問だが「シアターフレンズ問題」はもう終戦=ノーサイドになったと思っていいのだろうか? 80年以来ずっとどこかで向こうは敵陣営でいつか退治してやると思い続けてきたが(笑)・・もう平和な世の中になっているのか。何より平和が一番だが。

2016. 4. 11

現在の現在。テレビのクイズで、Q,吉田拓郎が初めて行った偉業 A.コンサートツアーという問題が出たと教えてもらった。無上の悦びだ。よくぞ出題してくれた。他の歌手だったらきっとあらゆる手を使って宣伝し周知徹底するところだろうが、御大はシャイで奥ゆかしいから。そこが歯がゆく、またそこが御大の魅力だったりするのでややこしい。なので誰か学校の教科書にでも載せてくれ。この国にとっての大切な歴史だぞ。

2016. 4. 12

現在の現在。♪ドラム叩ける仕事見つけたんだ 二度とcampusへ戻らないつもり(さよならに口づけ)・・・ここで二人のミュージシャンの人生がシンクロすることになる。「自分で言うのもなんだけど、今もしあのドラムが自分のバックにいたらトテモ歌えないです。そう考えると吉田拓郎ってやっぱり偉大だなぁ。平気で歌ってましたもんね(笑)。」「でも一度も怒られませんでした。おそるおそるチトやんにチューニングだけでも見てもらったら?とか言われたことありましたけど」。御大の実は小心で心優しい人品骨柄の一端を思う。

2016. 4. 13

現在の現在。♪幾度、春が来てあの日をたどる この名も故郷も静かに生きる ♪昔その人が愛した場所に若い緑たちが芽を吹きはじめ・・・・なんと素晴らしい唄なんだろうか。御大はこの唄を「再結」と言った。再結のホントの意味はわからないが、単なる懐古でなく、後悔や悔恨のようなものを通して家族と故郷を描き直したからこそこの唄に心奪われるのだと思う。これも義務教育の教科書に載ってもいい作品だ・・って、しつこいか。

2016. 4. 14

あれから10年。四国九州シリーズ最終の長崎公演。故郷長崎での御大を聴くのは初めてで感慨深かった。長崎で聴く「ヒロシマ」。ここも広島と同じかつて「焼け尽きた都市」だったのだ。今の自分がどうこう言える立場ではないが、ライブ外にもいろいろあってこの旅行自体が最高の想い出となった。そういえば同じ長崎ブリックホールの翌日は「さだまさし」公演だった。「背中合わせのランデブー」とはこのことか(笑)。両方の大ファンの方にはかげがえのない運命的な長崎だったに違いない。かくして御大はいよいよ秋のつま恋に向かうのであった。

2016. 4. 15

現在の現在。熊本・九州の大地震震度7とは驚いた。心からお見舞い申し上げます。昔、御大がホテルに泊まっている時に地震にあった時、ホテルだけがいつまでも揺れているので、「まだ揺れてるんですけど」とフロントに何度も電話していたらフロントから「怖がりですね」と逆キレされた話をしていた。余震も続いているし「怖がり」でいることは大切なことだと思う。知り合いの熊本の御大支援者の方はご無事のようだが、お身体はご無事でもこれから普通の生活に戻られるまでも一大事にであるに違いない。重ねて早くいろいろなことが回復されますよう。

2016. 4. 16

現在の現在。これでもかという地震の猛威。何なんだこれは。モノも送れず、何もできず申し訳ない。とにかくお大事にtake careで、せめて雨にならないで欲しい。御大のお見舞いの言葉、そこにこめられた深い思いが、かの人々に届きますように。シノハラともえの災害情報伝達のクレバーさが感謝されていることに妙に救われる。

2016. 4. 17

あれから5年。正確には明日。東日本大震災に向けた御大の公開録音番組。あの時は5年後に、まさかこんなことになっているとは思いもしなかった。こういう悲痛事は、くりかえしくりかえしいろいろなカタチで必ずやってくるものだということ今さらながら思い知る。御大は「春を待つ手紙」を万感の思いをこめて歌ってくれた。歌う前に明らかに緊張した御大がCM中に「骨まで愛して」と「落陽」を1番だけ歌って発声練習をしていたのを思い出す。恋する男女の書簡は祈りの唄になっていた。音楽にもチカラがあることもあらためて思い知る。そちらはそういう状況ではないかもしれませんが、とにかく。
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2016. 4. 18

現在の現在。今日でちょうどあれから5年の東日本大震災の公開放送の時、最後は御大とともに「全部抱きしめて」の合唱だった。人によってこの曲の好き嫌いや、御大にはもっと名曲がたくさんあるのにという思いもあるだろうが、それを超えてこの作品は、若い世代、上の世代、同世代を縦横に結ぶ大切なスタンダードになったのだと実感した。「全部抱きしめて 君と歩いて行こう」このフレーズに息づいているものは今も変わらない。「全部抱きしめて」を抱きしめて歩いて行こう。
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2016. 4. 19

現在の現在。御大の「歩道橋の上で」の映像編で、御大のホテルの部屋から熊本市街を眺めるシーンがある。この日のライブもこの時の熊本の町も大切な思い出だ。近いうちにいつかまた絶対行こう。途絶していたゆうパックや佐川とかが限定的につながりだしたらしい。ささやかだが朗報だ。東日本大震災で鬱屈していた時に流れた九州新幹線のCMには涙がでるくらい勇気づけられた。みんな同じだったんだな。あの時は励まされたが、今は応援の気持ちを込めて観る。そうそう御大がかつて歌ってくれた「新幹線はウンと早い」を頭に流すことを忘れちゃいけない。
https://www.youtube.com/watch?v=B9jCU9ok_MI

2016. 4. 20

現在の現在。テレビをつけたら小田和正ばかりだ。面白くない(笑)。小田和正といえばいろいろあるが、言葉遣いが悪い。テレビ番組で握手求めてきた女性に平気で「ババア」と言っていた。御大は、決してそういう言葉は使わない。しかし世間のイメージでは逆で、言葉が悪くて乱暴なのは吉田拓郎、上品な紳士は小田和正となる。悔しい。恐るべきは、世間の持つイメージの詩である。

2016. 4. 21

現在の現在。今日のラジオ「音楽のそばに」という言葉にどれだけ元気づけられたことか。この言葉だけで十分である。今日21日は拓郎ファンの友人の命日。毎年恒例の墓参に出かけたが・・・そうか今年はもう七回忌か。「ハワイは楽しかったよな」「いよいよ70歳だよ」「今年はどうかな」などとフツーに墓石と酒を飲みながら会話している危ないおっさんとなっている自分。「これからの拓郎さんも楽しみですね」と言う彼の声が聞こえた気がする(笑)、仲間内で話す時も「拓郎」とか「御大」ではなく必ず「拓郎さん」と言う彼だった。御大への愛に溢れた素晴らしいファンに今年も合掌。
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2016. 4. 22

現在の現在。このラジオのインタビューを聴いて、垣花さんは単なるおチャラけ系のアナウンサーだと思っていたけれどとてもクレバーな方だと認識を新たにした。御大のことを知ろう、伝えようという覚悟が窺えた。森永卓郎さんはとてもクレバーな方に違いないが、全体から滲み出る「ヘナチョコ感」が他人と思えずなんともイイ。24日18時の放送が俄然楽しみになってきた。

2016. 4. 23

現在の現在。元「愛奴」の高橋信彦氏のインタビューが面白い。あいやっこ・・芸者か?と自分たちも最初思ったらしい。御大とシンクロする愛奴のエピソードはいつも心温まる感じがする。浜省のインタビューとあわせて読んでみたら73年の「君去りし後」の岡沢章と田中清司のドゥドゥドゥーンていう間奏を74年高橋と浜省で再現したときの「ワンランクどころじゃないレベルダウン」が我ながら悲しくて忘れられないそうだ(笑)。それも含めて若さと気骨のあふれた素晴らしいバントだったと思う。

2016. 4. 24

現在の現在。いよいよ今日はラジオか。楽しみだ。そういえば昔、小川哲哉が文化放送でやってたラジオリクエスト番組に珍しく御大がゲストに出たことがあった。その時小川さんが申し訳なさそうに「拓郎さん、リクエストが一枚だけ来てます。東京都の○○君から『カンパリソーダとフライドポテト』・・」。御大が淋しそうに「・・・あ、嬉しいです。家の壁に貼っときます」(笑)・・というわけで御大に届けとリクエスト・メールを書こう。

2016. 4. 25

現在の現在。ラジオは楽しかった。これだけ大きな「人」と「音楽」だと4時間くらいでは深奥に届きもしない。森永氏よ、余計なお世話だが、ライザップに行ったり「人間なんて」を歌う前に「僕の道」「ガンバラナイけどいいでしょう」を魂で聴こう。結局「ファンの思いと本人の思いは全く違う」という御大の冒頭の発言を4時間かけて証明する番組になっていた(笑) わかったつもりでいるといつも御大はたちまち背中を見せてどっかへ行ってしまう。でも今回は珠玉の言葉をたくさん残していってくれた。見失うまい。

印象的だったのは、変化というよりお母さんと暮らしていた頃の自分に戻っただけという奥様の言葉。人生とはどこまでも一直線に進むものではなく、円環を廻りながら少しずつ登ってい行くらせんのようなものなのだろうか。sidewaysの「父に遭う」でも書いた「吉田町」「清流」のことを思ったりする。

2016. 4. 26

現在の現在。それにしても御大が自選のベスト5を発表したりしたことなんてあったろうか。とてもレアなことだ。それをいとも簡単にスルーしおって卓球の卓。この選曲には、今の御大の思い、サービス精神、テキトーさ(笑)いろんなことが隠れているに違いない。そもそも選曲だけで何かを発信できるというのは御大の曲が多彩なクオリティに裏打ちされているからこそだ。これが城みちるだったら何をどう選曲しても「なんでイルカに乗ってんだよ」というメッセージしか発信できない。なぜ比べる(爆)
同時につぶやいた「純」も演ってくれたら嬉しい。♪有象無象の町にあかりを灯して、♪生きる者すべてが愛で繋がれてほしい。どけぇ!は是非語尾をあげてシャウトしてくれるとなお嬉しい。

1 人生を語らず 2 朝陽がサン 3 Woo Baby 4 僕の道 5 ガンバラナイけどいいでしょう

2016. 4. 27

現在の現在。昨日は城みちるさんに失礼なことを書いてしまった。申し訳ない。城さんは御大と同じ広島出身で「人生を語らず」「我が良き友よ」をカバーしておられる。昔、御大のラジオにそのことを投稿したが、御大もこのカバーはご存知なかったようだ。城さんのカバーは、御大の本人歌唱とはまた違った味わいがある。「超えてゆけ」と熱唱しても、「ああ、きっと超えられまい」という、わびさび感がいい(笑)しかし「人語」〜「我が良き友よ」〜「シクラメン」、もし御大から布施明への流れを狙った構成だとしたらタダ者ではないぞ、城みちる。
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2016. 4. 28

現在の現在。九州新幹線が再び全線開通。一か月以上かかると言われたのに、凄いぞ技術の人達。気骨を感じる。まだまだ大変ことが山積だろうがひとつの朗報に違いない。岡本おさみの言葉「高田渡は夜汽車が似合うが、吉田拓郎は新幹線がよく似合う」を思い出す。いつかまた新幹線に乗って行く九州シリーズがあったらとても嬉しい。

2016. 4. 29

あれから36年。春のツアー渋谷公会堂。前年79年の暮れに「古い曲は全部捨てる」と宣言して驚かせ、ホントに全曲新曲の春のツアーでまた驚いた。そのあとすぐ7月には古い曲もちゃんと歌ってさらに驚いたが(笑)。今考えても「全曲新曲ライブ」というのは凄いことだ。しかもその新曲たちがが「アジアの片隅で」「いつか夜の雨が」「ファミリー」「熱き想いをこめて」「街へ」「又逢おうぜあばよ」・・というハイクオリティさ。音源化されなかった「愛しておやり、愛しても愛しすぎることはない」も良かったな。新曲をライブで初めて聴く時の緊張感とワクワク感はたまらない。こんな幸せがあろうか。初めて相手に会うお見合いみたいなものか。ましてや全曲新曲となると、お見合いどころか、ゴージャスな婚活パーティみたいなものだ。行ったことないが。

2016. 4. 30

現在の現在。御大本人自選のベスト5がレアだと書いたが、昔ニッポン放送で「日立ミュージックインハイフォニック」という音楽番組があった。常木さんという方の静かな声も魅力だった。1976年たぶん12月に「吉田拓郎本人の選曲」特集があったのを思い出した。
@伽草子A流れるB街を片手に散歩するCたえこMYLOVEDチークを踊ろう
常木さんが「新しい曲が多くて意外な選曲ですね」と語っていたのを思い出す。今回のベスト5とスピリットは一緒のものを感じる。当時、確かに意外だと思ったが、こうして今見るとなんと珠玉の選曲ばい。

2016. 5. 1

現在の現在。5月だ。5月といえば「5月の風」を思い出す。吉田拓郎作詞・加藤和彦作曲・歌唱のひっそりと咲く花のような美しい小品。「夏に向う雲たちよ 先に行ってくれないか あの人のことをもう少し考えていたいから」。御大が思うこの切ない詞の相手は誰なのかわからない。しかし、発表後すぐに安井かずみさんが亡くなり、やがて加藤和彦さん自身も逝かれた。聴き手自身の周りにも、時間の経過とともに先逝くあの人が増えてくる。歳とともに胸に深く錨をおろしていくような歌だ。それでいて詞も曲も歌唱もどこまでも温かい。まさしく天才たちの仕事だ。

2016. 5. 2

あれから37年。シングル「流星」は、公式には5月5日発売だが、2日にはもう店頭に並んでいたのを思い出す。前倒しだ。それにしてもあのジャケットはアートなんだろうが、なんで御大の写真じゃないんだと店頭で怒っていた自分も思い出す。後日、エルトン永田さんに頼み込んで、あのビアノのイントロのサワリだけを弾いてもらって感涙昇天しているファンを何人も観た。そのくらいファンには不滅の作品なのだ(それにしちゃ皆ちゃんとレコード買ったのだろうか、あの頃のファン・・)。今や同じエイベックスだが、愛の深さは「R.Y.U.S.E.I」なんぞに負けるものか。そっちがランニングマンならこっちはトラベリンマンだ。

2016. 5. 3

現在の現在。憲法記念日。かつて御大は「少数派よ生き抜け!!常に魅力的であれ!!」と語った(「俺だけダルセーニョ」もっと愛の中へ)。「憲法」とは要するに、権力を持った多数派であっても侵すことのできない少数派の自由を守るツールのことだ。多数派にとっては鬱陶しく邪魔だろうが、少数派には自由の最後の砦だ。はるか昔「憲法」の授業の時「諸説議論あれども"人間の無秩序な自由と多様性を愛しむこと"が憲法の基本にあることを忘れてはならない」と教わった。その時に勝手ながら、御大の歌のスピリットと同じじゃねーかと思ったものだ。もっと愛の中へ。


そういえば昔、ラジオのヤングタウン東京で宮崎美子がゲストの時。御大「宮崎さんは法学部だそうですが、最近話題の憲法改正とかどう思います?」小室等「オレは反対だね!」御大「アンタに聞いてないよ」。あの感じがなんか良かった。

2016. 5. 4

現在の現在。宮崎美子さんといえば御大の提供曲「嫌いですか」。圧巻は♪恋をすぅるうぅ〜う というところの御大特有のメロディーというか譜割。アイドルには難所のようだが(顕著な失敗例として白鳥哲「ひとりだち」)、宮崎さんはこれを実に見事に可愛らしく歌いこなしている。涼やかな一品だ。アルバムの他の曲の歌唱はとても大したことないのだが(笑)

2016. 5. 5

あれから36年。アルバム「Shangri-la」発売。同日プロモーションでラジオ「大竹しのぶ音楽人間世界をゆく」に出演。たぶん大竹しのぶさんとの初顔合わせだったのではないか。かねてから「ああ野麦峠」で号泣し大竹さんの大ファンになっていた御大は、プロモーションそっちのけで「ファンです、握手してください」最後は「愛してます」とまで言ってた(笑)。別の御大のラジオで、大竹しのぶさんを好きな理由について「僕は毛皮が似合わない女性が好きだから。そこが基準。」と発言したらユーミンから大反発を受けたと頭をかいていた。そこには小さな毛皮論争があったようだ。

2016. 5. 6

現在の現在。ニュースにもなったダイエー碑文谷店の閉店。お疲れ様でした。御大の聖地であるとともに、あの品揃えと展望エレベーターの文化の香りに感動したものだ。御大が引っ越す時に別れが悲しいと言っていたダイエーのカメラ店のおじさんはお元気だろうか。それにしても「Y」は心にしみる。鈴木茂がギターを弾きながらイエーイと唸ったというのも頷ける。特にあの間奏の美しさには聴くたびに涙が出そうになる。そして20年もの沈黙を経て、突然にビッグバンドで演奏された時、昔、大好きだった女の娘に不意に再会してしまったような気分も忘れられない。

2016. 5. 7

現在の現在。字幕テロップが入ったような広島弁対訳のVANとVENには笑った( ^)o(^ )御大はファンにとってはファッション・リーダーでもある。だからこそ昔からファンはダイエー碑文谷店のソックスを目指すのだ。VANとVENに笑いながらも、全国中の洋品店や古着屋から草の根分けてもVENのTシャツを探し出そうと心燃え立たせているファンの一群がいよう。きっと次のコンサート会場には誇らしげにVENのTシャツを着こんだ勝ち組ファンが登場するに違いない(笑)。恐るべしは拓郎ファンだ。それにしても御大の最近の好みと言ってたブランド、BEAMSやGAPは大丈夫なのだろうか。タグをもう一度確認しちゃくれまいか。

2016. 5. 8

あれから38年。調べると本日からドラマ「たんぽぽ」第5シーズンがスタート。「隠恋慕」がテーマ曲だった。橋田壽賀子ドラマだったのね。ドラマは記憶にないが主題歌のバックの路面電車の映像が忘れられない。それにしてもなんと繊細な歌なのだろうか。御大のメロディーとボーカルがたまらない。地味ながら松本隆との共作の傑作のひとつだ。この年の夏に作られるアルバム「ローリング30」には間違いなく音楽の神様が降臨している。しかし、どうやら神様は、この曲あたりからロケハンに降りてきていたのではないか(笑)と思わせる。こんな名曲がB面で長らく放置されているのだからまったく。

2016. 5. 9

現在の現在。サイト運営をお願いしているNinjin design office内では、今、グレゴリー・ペック主演の映画「アラバマ物語」がブームらしい。自分にとっても昔から大切な一作だったので便乗して観直す。差別・偏見・人権という切り口で語られることが多い映画だが、そういう教条的な事とは別に、人や世界それ自体に宿る美しさを再認識した。原作の翻訳小説は、今、朝ドラで話題の「暮らしの手帖」に連載されていたんだね。原作者が昨年亡くなりアメリカではいろいろ話題があったようだ。「グレゴリー・ペックのあの身悶えるようなかっこよさは、高倉健にはないが、吉田拓郎には通じるものがある」とNinjinの雨畑氏は感嘆している。それにしてもグレゴリー・ペックと御大は誕生日が4月5日で一緒なんだなぁ。
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2016. 5. 10

現在の現在。今週は雨が多いようだ。♪5月の雨。傘のしずくが胸を突き・・・こうして平凡に明日と向かうのか、他にも何か答えはありはしないか・・5月の雨。「決断の時」、あらためて胸にしみる詩だ。静かに波打ち際に打ち上げられたようにレコード店に置かれていたシングル。告知とか宣伝とかあったのだろうか、自分が知らなかっただけか。名曲なれどひっそりと野に咲く花のようなイメージがある。

2016. 5. 11

現在の現在。泉谷しげるの誕生日なのでおめでとうございます。「地球ZIGZAG」に出演した時、ロックシンガーを目指す若者を観ながら「ロックって、こんなもんじゃねぇよ」と怒った泉谷。アシスタントの高橋リナさんから「じゃあ泉谷さんにとってのロックって何ですか?」と尋ねられたらこう答えたのだった。
 「昔よ、拓郎がつま恋に5万人集めてよ、最初、拓郎はもう緊張してビビッてもう目はウツロで声はヘロヘロなんだけどさ、それでもこうやって(ギター抱えるしぐさ)『歌うぞ』って身体ごとググッと前に出て行く、そういうところにホントのロックがあるんだよ。」
 記憶だから不正確かも。でもこの言葉を聴いて日曜の朝に一人涙を流したものだ(笑)。もちろん今でも大切な銘言だ。

2016. 5. 12

現在の現在。少女漫画など今までもたぶんこれからも無縁の自分がたまたま美内すずえ「王女アレキサンドラ」を読む。テロで盲目になった王女が、母の遺言である「人を信じる」ことに徹して乱世を切り抜けて行く。もともとの性格のうえに加齢ですっかり心がネジくれている私にはとても身に詰まされる。御大の「Y」と「S」という同メロの二作品。「Y」の方が圧倒的に好きだが、「S」にも心惹かれるのは「人を信じるってことは 泳げない僕が船に乗るみたいに 誰にもわからない勇気のいることだから」の部分があるからだ。信じることをこんなに的確に定義した詞を他に知らない。御大はやっぱ天才詩人だ。

2016. 5. 13

現在の現在。久しぶりにテレビで、かまやつさんを観た。77歳。相変わらず、かっけーな。かまやつさんのフォークビレッジで御大についての手ほどきを受けた私としては大恩人だ。何年か前、とある銀行の待合室に座っているかまやつさんを観たことがある。浮きまくっていると言う表現もあろうが(笑)、あんなにカッコよく待合室に座っている人を見たことがない。その後、御大の熊本公演の翌朝、ホテルで一人朝食をとられているときにご挨拶させていただいたのが貴重な思い出だ、あ、あれはかまやつさんでなくショットガンチャーリーだったか。

2016. 5. 14

 あれから41年。御大は、藤公之介の「美わしのかんばせ」という詞にメロディーをつけ萩原健一に提供したが「お蔵入り」になった。代わりに森田公一のメロディーで世に出た。なぜだ。かくしてデモテープがラジオで流れただけで文字通り幻の作品となった。
 それから3年。お蔵入りしたメロディーに阿久悠が「さらば」という詞をつけ清水健太郎に提供されようやく陽の目をみたのもつかのま、今度は歌手本人が「お蔵入り」に(爆)。この不遇のメロディーの歴史は、いろんなサイトに書いてあるが、私が言いたいのはその先だ。

 1995年頃、ユーミンのオールナイトニッポンにゲスト出演したスピッツの草野マサムネくんは「子供の頃聴いて忘れらない一曲」を尋ねられて、この清水健太郎「さらば」を堂々と挙げたのだった。ヒュルヒュルと哀愁のある独特な美しいメロディーが忘れられないと語った。ユーミンが「ああ、これ作曲が吉田拓郎さんだねぇ」と呼応し静かに盛り上がった。「傷だらけの名曲」が長い時間を経て報われた瞬間だった。美しいメロディーは”たとえば嵐に呑み込まれても歴史はそれを見逃さない”のである。
 それにしても松本隆作品集に「ドンファン」を推挙したり、「思い出に変わるまで」は「春だったね」にインスパイアされたとカミングアウトしたりと、タダものではない草野マサムネくんだ。

2016. 5. 15

現在の現在。昨夜は川村ゆうこさんのライブへ。幾星霜を経て進化したボーカルとやさぐれた面白いMC(笑)。なるほど浅井企画だったのか。「風になりたい」は、たくさんの素晴らしいアーティストがカバーしたが、やはり「今」の川村ゆうこさんの歌唱がベストだと思う。ていねいに魂を込めて歌われている。これはきっと師資相承で御大のフォースと共にあるからに違いない。

 そして、なんつってもバンドである。キレのある演奏が、そりゃもうもう圧倒的な「塊」になって客席を打ちのめす。いいのか、こんな近くでこんだけの人数で独占してしまってという殊勝な気持ちにもなる。

 「サマータイムブルースが聴こえる」の間奏。・・あらら、ネタバレだけど、場末の孤高のサイトなんでお許しを。あの間奏の美しいメロディーとエルトンさんのピアノの素晴らしさをあらため胸に刻む。この作品の結晶体のような間奏。やっぱこりゃエルトンさんを置いてほかにあるまい。聴いていて、給水スイッチが入ったように自然に涙が流れた。
 そしてアンコールのあの曲でエルトンさんは川村ゆうこさんと・・これはネタバレなんでそのうちまた。言ってること違うぞ。

 ビシビシと入ってくる砲撃のようなドラム。小さな会場だったので、全ての作品で、島村さんの「ワン・ツー・・・」のカウントを聴くこともできた。あのカウントが歌手とミュージシャンと作品たちを丁寧に優しくリードしているのがシロウトの自分にもわかった。子どもの頃、水泳の高跳び込みが怖くてすくんでいたとき、さあOK大丈夫だ、ワンツースリーで飛び込んでみよう!とガイドしてくれた水泳の先生を思いだした。関係ないか。

  飯田では、宮下”スーダラ”文一さんが加わるらしい。どう進化していくのだろうか。

 つま恋から10年というタイトルだったが、私たち観客も、おそらくステージの上の方たちも決して10年前を懐かしむために集まっているのではない。昔「皇帝のいない八月」という映画があったが、今は「御大のいない五月」である。みんな確実にある未来を見つめているのだ。それも近くて具体的な未来を。その”よすが”になるような清々しい一夜だった。
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2016. 5. 16

あれから42年。記録によれば昨日15日は、御大の愛奴とのツアー初日京都会館だった。♪走り始めた74、浜田省吾にとってはプロデビューの日になる。「タイコ叩いて半年」の人間が超一流のシンガーのバックという緊張で駅から京都会館までは「死刑場に連れて行かれる」ような気分だったと。ステージで憶えているのは超満員の「拍手」が風になってステージに押し寄せることだったという。今にして思えば二人のシンガーが交錯する"男の交差点"のようなツアーか。しかしミュージックフェアを観ても神がかりのオーラを放つ御大のうしろでドラムを叩く青年はどうみても将来性があるようには見えない(爆)。ここが自分の人を見る目の限界を感ずる。それにしても多くの皆さんが言うとおり、愛奴との「おろかなるひとり言」は超絶品だよなぁ。

2016. 5. 17

現在の現在。ドラムの島村さんが、昔、御大と合宿でレコーディングしていた頃、若き島村さんはドラム・パートの録音以外の時も練習用具を持ち込んでひたすら練習していたらしい。でもある日、練習しようとしたら練習用具にミュージシャンの洗濯物がいっぱいかかっていて、それ以来、練習するのを止めたとのことだ(笑)。箱根ロックウェルあたりはそんな事件と伝説の宝庫だろうに。どなたか引っ張り出してくれ〜。
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2016. 5. 18

あれから34年。伝説のツアー王様達のハイキングが八王子からスタート。最強のバンドによって音楽が練り上げられていく旅の始まり。その反面で御大の歌のスピリットは”メッセージ”ではなく”自堕落””恋愛”モードに放浪を始める。ファンとしては上と下に引き裂かれるような複雑な思いの始まりでもあった。
なーんてことも今は昔。とにかく会場に入って、モニターが地下にスッキリと埋め込まれ、正面にTAKUROのロゴが光る白亜の美しいステージセットを観たときのあの胸の高鳴りは忘れられない。
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2016. 5. 19

現在の現在。楽しみにしていたライブを断念したという熊本の方の切実な声を聴くと、もともと震災から遠く離れていた上に、それすらも風化し始めている自分をあらためて思う。御大の著書「俺だけダルセーニョ」の一節を思い出す。御大は、次々に起きる事件災害について「当事者以外が、とにかくその場では目の色を変えても、次の何かが、起こるともう狂ったようにそっちへ飛びつく」「亡くなった人たちの悲しみを、今でも同じように憤っている人間っているのか。」と問いかける。「自分の身になって考えてみなよ」という御大の言葉が重い。

2016. 5. 20

あれから33年。「マラソン」をひっさげた武道館公演。ライブのオープニングに「マラソン」がフルで流れ、発売前だったのでここで初めて聴いた。殆どのファンがそうだったろうから、まさに一万人の「マラソン」試聴会だ。客電が落ち紫紺の闇に流れる静かで切ない歌声に、熱狂の準備万端だった観客たちは思いきり戸惑うという不思議な雰囲気だった。はじめて聴く作品が、ちょうど霧のようにたちこめて、やがて霧で一杯になるように武道館の会場に広がっていく。
♪ボクはあの時風になり、大空をくるくる回りながら
 このまま死んでしまいたいと またひとつ小さな夢をみた
伏せこまれ制圧されたような会場。忘れられない名曲との出会いの一瞬であった。
曲が終わると余韻を断ち切るようなドラムとベースの轟音で一曲目「イメージの詩」が始まる。というわけで最初からライブは御大のなすがままだ。

というわけで今日は勝手ながらマラソン記念日。
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2016. 5. 21

 あれから40年。雑誌「フォーライフ」創刊号の川村ゆうこさんのインタビューで(あっ、ということは今年デビュー40年か!?)、フォーライフの4人を花に例えて@井上陽水は薔薇A小室等は蓮の花B泉谷しげるはケシの花そしてC吉田拓郎は水仙の花と答えている。水仙の花言葉を調べると・・・”エゴイスト”(爆)・・・や、やるなっ!川村ゆうこ(笑)
 確かに”エゴイスト”という世間のイメージはあったし、時に”エゴイストのファンはエゴイストである”なんてラジオで言われたりもしたので他人事ではなかったりする。
 しかし勝手に断定してしまうが、おそらく御大自身とそのファンたちの殆ども、世間のイメージとは違って、あれこれ気を遣い、気に病んで、オドオドしながら生きている人種に違いないのだ。場末のこんな孤高のサイトをやっているのは、そのことを世間の片隅にでも証跡として残しておきたいという一心からなのだが。
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2016. 5. 22

現在の現在。ボブ・ディランの「フォーエバーヤング」が絵本になっていたんだ。

 きみが手をのばせば しあわせにとどきますように
 まわりの人びとと たすけあっていけますように
 星空へのぼる はしごを見つけますように
 毎日が きみのはじまりの日

いいなぁ。でも御大の作品でも絵本になるようなものはたくさんあるはずだ。「夏休み」や「吉田町の唄」なんて素晴らしい絵本になるような気がする。

 ♪祖母に手を引かれ海辺を歩く
 ♪昔その人が愛した場所に 若い緑たちが 目をふきはじめ

 どなたか画伯にお願いして企画しようかな。
とりあえず第一弾として、子ども向けしつけ絵本「王様をおこらせた ふせあきら」という絵本もいいな>よくねーよ
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2016. 5. 23

現在の現在。暑い。暑いぞ。そういえばビアガーデンの季節が来ているじゃないか。ビアガーデンといえば、かつて御大はよくビアガーデンにいた。星空の下、夜風に吹かれて豪快に笑いながらジョッキをあおっている御大を何度か観たことがあった。素敵だった。人の魅力はああいう所作に宿る。あんだけ美味しそうに飲んでもらえればビールも幸せだろう。書を捨て町へ出てビアガーデンに行こう。

2016. 5. 24

現在の現在。川村ゆうこさんをきっかけに浅川マキさんを聴いている。そんな浅川マキさんの「埠頭にて」という短編で吉田拓郎が登場する。その最後のフレーズがたまらなくいとおしい。

”吉田拓郎が唄ったひとフレーズ、低い響きのある声には色がある。
   それは変わることなく、わたしのなかにある”

"・・・言葉を選んで渡すより そうだ元気ですと答えよう"
マキさんは「元気です」を聴いている。

2016. 5. 25

 あれから40年。アルバム「明日に向って走れ」発売。なんか地味だなぁとしか評しえず、”海よりもまだ深い”愛と悲しみに満ちたこの名盤に気づかなかった頃の自分が恥ずかしい。今の自分も十分に恥ずかしいが。

 現在の現在。川村ゆうこさんのツアーが終了した。お疲れさまでした。御大のフォースが波紋のように広がる中、文ちゃんと島ちゃんのアコギVSドラムの二人だけのセッション、浅川マキさんの「ケンタウロスの子守歌」、そしてなんつっても心に井戸を掘るような「風になりたい」がすんばらしかった。
 先日とあるインタビューでエルトンさんは「音楽家に必要なのは『勇気』だ」と語った。失礼な言い方かもしれないがミュージシャンのみなさんが御大の作品の懐かしさから外に向って一歩出て行かんとする勇気と気骨を感じる前向きな素晴らしいライブだった。

 それがいつになろうと御大のハレの日を待とう。

 さて風貌が怖そうな富倉さんに自分も勇気を出してサインを頼んだら、とても優しい方だった。でも、いただいたサインはやっばり怖かった(笑)。こんなサインって・・・家宝にします。
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2016. 5. 26

 現在の現在。DVDやビデオが普及する前は、つま恋や篠島のフィルムは殆ど幻だった。たまーにある上映会に出かけて行って観るしかなかった。どこぞの遠くの大学の学園祭とかで上映されると知ると万難を排して出かけて行ったものだ。山田パンダの解説による篠島フィルムコンサート鑑賞会なんてとんでもない企画もあった(笑)。面白かったけど、パンダさんの話はここにも書けない内容ばかりだった(爆)。
 御大のフィルムだけでなく、テレビ番組も再放送だけが頼りだった。それでも当時のいろんなことを記憶しているのは、これを逃したらもう観られないという切実な思いで魂込めて集中して観ていたんだろうな。今はいつでも観られると思うとどうもルーズな観方しかしていない。良し悪しだなぁ。よく校長先生とかの退屈な話で出てくる「一期一会」って大切なことだったのではないかと今更思う。

2016. 5. 27

現在の現在。月夜のカヌーで夢の続きへ漕ぎ出そう 息を潜め漕ぎ出よう。田家さんの「・・・船を降りた水夫は、一人乗りのカヌーで海に出て行く・・」というコピーとともに座右の歌だ。この歌に会えてよかった。岡本さんとの最高傑作のひとつだと思う。あまりに好きなので地元の家具職人の方にジャケットの場所に連れていっていただいた。うっそうとした木はだいぶ切られてしまったが、新緑がとてもキレイだった。孤影悄然とそれぞれのカヌーを漕いで行こうと思うと静かな元気が出る。
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2016. 5. 28

 現在の現在。みゆきさんは、坂崎さんではなく御大に観に来てほしかったのに、来てくれなかったので恨んでたのではないか(爆)

 焼け尽きた都市の深い祈りと深い悲しみ。そこに主義主張、党利党略、利害打算が入り乱れて、いつも広島は大変だ。理想かなわず少し疲弊した孤独感漂う大統領とドヤ感漲る首相のツーショット。歴史的とか世界とか壮大な話の前に、御大ファンならばおそらく誰もが、あの二人に問うだろう。「子供らに俺たちが与えるものはあるか 安らかに笑う家はいつまであるか」。
 しかしテレビの前で腕組みして評論している場合ではなく、その問いは、当然にすべて自分にも返ってくる。そんな中このニュースに関し、皆実高校出身の久保田智子アナウンサーのNEWSWEEKへの寄稿には考えさせられた。
 http://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2016/05/tbs.php
 77年生まれ(「やさしい悪魔」「ぷらいべえと」「大いなる人」の年だ!!)の若い彼女が自分の実体験を通して広島を知ろう、広島と繋がろうとしている姿勢には胸打たれた。彼女は広島の出来事を、単に過去の悲痛事としてではなく、これから一緒に未来を生きていくものと捉えている。

 そう思うと御大の過去の偉業や膨大な名作も、単に過去を懐かしむためではなく、それぞれが御大とともに今と未来を生きていくためにこそあるのだと思う。まだ見ぬ未来の新曲を希望に、かつての作品をよすがに生きることこそファンの至福なのではないか。
 思いっきり話しが飛んだが、しょせんただの個人の日記だし、いいや。

2016. 5. 29

現在の現在。ソロコンサートって最初から最後までそのアーティストが歌ったり演奏するのが当たり前だけど、昔は、前座があったり、途中のゲストがあったり、休憩時間が入ったりして、ブツ切り構成になっているのが、御大に限らず普通のカタチだった。最初からアーティストが出てきて2,3時間ガッツリ歌いつづけるというカタチが確立するのは、たぶん1979年の御大のツアーからだと思う。調査したわけではないが。「2時間半ぶっ続けで行きまっせ!!」と豪語し私たちを興奮させた「デスマッチツアー」。でも実際は途中で島村英二氏のたぶん10分に近いドラムソロがあって休憩していたみたいだけど(笑)。切り身でなく魚一本まるごとドーンと食いやがれ!!いう感じが実に嬉しかった。というわけで実は限りないサービスの人である御大のチカラがここでもいかんなく発揮されていたのであった。

http://tylife.jp/reverence.html#BUDOUKAN

2016. 5. 30

 現在の現在。かねがね思っていたのだが、御大を支えた人々のこと。
  慶応→松本隆、松任谷正隆、鳥山雄司 
  早稲田→喜多條忠、後藤由多加、常富喜雄、陣山俊一。
 学閥の慶応は御大の才能を認めつつも閥外の御大には、あくまでもビジネスパートナーとしてのクールなポーズをとる。他方、在野で独立独歩を理想とする早稲田は、その理想を体現している御大にシビれてしまって、かしづいて忠誠を誓う。そんなカラーの違いが反映しているような気がする(笑)
  同じ慶応でも中村雅俊はやや早稲田よりでスタンスが違うが、彼は下からの慶応出身ではないから慶応色が薄いのではないかと思われる。って何を論評してるんだ(爆)。

2016. 5. 31

 現在の現在。ナベプロの社長「渡辺晋」さんの伝記に、ユイ音楽工房を旗揚げしたばかりの後藤由多加の話が出てくる。今でいう学生の起業で業界のことを西も東もわからない後藤は、紹介状もなく果敢にも単身ナベプロに乗り込む。これが慶応だと卒業生の人脈を辿ってアプローチするところだが、単身乗り込むところが早稲田・・って、もうその話はいいって(笑)。そんな後藤を門前払いせずに迎える渡辺晋・美佐夫妻。この帝王と女帝は「何もわからないから教えてくれ」という後藤に、懐深くも懇切丁寧に業界のノウハウを教えてくれる。
  でも凄いのは、後藤はそこで卑屈になったり恐縮したりしないんだよ。お礼にこっちもいい情報を差し上げます、「これからはラジオとコンサートです、時間はかかるが、ファンとの絆の強さはテレビの比じゃない。」と堂々とアドバイスをして帰ってくる。果敢な若者と懐の深い大人の対峙が実に感動的だ。
 そして彼らも素晴らしいのだが、そこには「御大」がおるんよね。後藤はたぶん自分が見出した「吉田拓郎」という逸材に盤石無敵の自信を持っていたのだと思う。こいつの才能があれば、俺はどこに行っても大丈夫だという不敵な自信。そしてたぶん渡辺晋・美佐も、筒美京平が「怖い」と思ったように御大の才能の凄さをきちんとわかっていたのだろう。

 「あっち」と「こっち」と御大は言うけれど、「あっち」のナベプロは、決してく不倶戴天の敵ではなく、いちはやく御大に作曲家としてナベプロの主力歌手への楽曲提供をさせ、あの事件で世間から四面楚歌になった御大に「襟裳岬」を書かせることで手をさしのべ、やがて主力商品の「キャンディーズ」のプロジェクトを託す。沢田研二らの「あっち」に憧れた御大だが「あっち」の方々も御大のことを心の底で愛してくれていたのではないかと思ったりするのだ。布施明はわからないが(爆)

 独酌しながら書くと、日記なのか妄想を綴っているだけなのかよくわからなくなってくる。

2016. 6. 1

 現在の現在。そうなんですよ(って誰に言ってるんだ)。後藤由多加は現代音楽ビジネスの父ともいうべき偉人なのに殆ど顧みられていない。叙勲なんてこの人に真っ先に授与すべきだし、評伝も欲しい。

 伝記といえば、かねがね彼の半生はドラマや映画になってもいいと思っていた。最近、満島ひかり主演の黒柳徹子の伝記ドラマ「トットてれび」を観ていてさらにその意を強くした。無名の青年が御大という才能を見出して、音楽界を御大とともに席巻し、史上初のコンサートツアーをつくりあげ、金沢事件という悪夢を乗り越えての「つま恋」の大成功・・・とドラマチックな面白さはこのうえない。昨日の渡辺プロへの乗り込みなんて、名場面と思うが。
 主演の後藤由多加は江口洋介、南こうせつは坂崎幸之助、ブッカーTは、softbankのCMのあの上戸彩のお兄さん(必要なのか?細かすぎねーか)・・とキャスティングは妄想の中で進んでいだのだが、やはり困るのは「吉田拓郎」役だ。

 あの御大のカッコよさとオーラを体現できる役者はいるだろうか。いちおう福山雅治と木村拓哉を仮押さえしているが(爆)・・違うよな。
 昔、浜田省吾の青春時代を描いたドラマに「吉田拓郎」が登場したのだが、髪の長いガタイのいいあんちゃんがゲタはいて出てきて「よう!にいちゃん、すまんの」って、菅原文太かっ!あれを観たら御大、怒るよ。ファンもだけど。
 やはり余人をもって替えがたいということで、御大御本人にロングヘアーのカツラをつけて演じていただくしかない。御大、もっと怒るかもしれないが。

2016. 6. 2

 現在の現在。「あれ」「そっち」「これ」「こいつ」そして「いつ」。そうやってファンをまた悶絶させるんだから(笑)。ファンにとってこの世には「御大のライブの日」と「御大のライブを待つ日」の二種類の日しかない。あとはただの風のシーズン。
 昔、かまやつさんが「おいしいおイモは食べるのも嬉しいけど焼けるまでも楽しいって言うじゃん。」、御大が「かまやつさん僕イモですか?」というラジオでの会話を思い出す。御大の心がライブとともにあるかぎり、こちらの尽きせぬ思いも至福も日々続くのだ。

2016. 6. 3

現在の現在。たまたま仕事で歩いていたら「高円寺」に出くわした、当たり前だがお寺だったのだ。商店街から少し外れた静謐の中に佇んでいた。"キミはどこに住んでいたのですか 高円寺じゃないよね" お寺に住んでるキミというと瀬戸内寂聴しか浮かばない。
そういえば、かつて某老舗サイトのエイプリルフールを信じて「高円寺駅の発車メロディー」を確認しに出かけた君よ。御大の心はライブとともにあるようだぞ。いよいよなのか。

TYISも「会報」→「マガジン」→「タブロイド」と進化しついに「タブロイドEX」とな。
とにかく、がんばれTYIS&ハイクアウト!私たちに幸あれ!!
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2016. 6. 4

現在の現在。高橋真梨子さんにカバーしてほしい御大の作品は、スタンダード、隠れた名曲含めてたくさんある。それにしても「良かったねオカモッチャン」の言葉には泣けて泣けて仕方がない。趣旨は違うかもしれないが岡本さんの御大に向けた文章の「『また会おうぜ、あばよ』という曲を創ったね。コンサートは観に行くよ。君は僕の親友だったのだから。」という一節を勝手に思い出し勝手に感慨に耽っていた。来るべき日、岡本さんもきっとまた聴きにくるに違いない。


気をとりなおしてあれから37年。群馬県民会館から篠島に向かうデスマッチツアー開始。群馬は行かなかったが、音楽雑誌の こすぎじゅんいちさんのレポートを胸熱くして読んだ。ネットもない時代だけど、ツアーの進捗とともに「今度の拓郎のコンサートは凄いぞぉ」という声なき声がさざ波のように押し寄せてきたのが忘れられない。

その同じ雑誌に、ユーミンのインタビュー記事があって「ダンナが吉田拓郎さんのツアーについてっちゃった」とボヤいている(笑)
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2016. 6. 5

現在の現在。昨日、79年の群馬の記事を読み直し久々に見た「こすぎじゅんいち」さんの名前が懐かしい。私にとって当時の音楽記事の世界では、こすぎさんと田家さんは、水戸黄門の助さん、格さんみたいな両巨頭だった。もちろん悪代官は富沢一誠だ(笑)。

特に、こすぎさんが何度となく書いていたエピソードが大好きだった。駆け出しの頃のこすぎさんが御大の家での宴会に参加した。緊張する自分にも優しく気配りをしてくれる御大に感激する。そして深夜の帰り道、目黒通りを一人歩いていると後ろから御大の運転するシビックが近づいてきて「おい、遠慮しないで乗って行けよ」と声をかけてくれた。「近くだから大丈夫です」とシビックを見送るこすぎさん。御大の素晴らしさを胸に夜風に吹かれて歩く幸せをかみしめる。読んでいるこっちも嬉しくなるような達意の文章だった。

音楽作品や音楽活動だけでなく、もっと切実な部分で御大のことを好きになっていることがわかる こすぎさんであり田家さんである。だからファンにとっては心地よいのだろう。どうか田家さん、来るべき日に向けてどうぞお身体を大切になさってください。

2016. 6. 6

 現在の現在。今日は御大の大好きな中尾ミエさんの誕生日だ。中学生の頃ファンレターの宛名をあえて本名の難しい漢字で書いたという御大の逸話が大好きだ。後年、そんな中尾さんに御大が送った「風の中で」はこれまた名曲だ。

 ファンといえばNHKの「トットてれび」のお陰で私とその周辺では「向田邦子」が静かに熱い。Ninjin designの中にも熱烈なファンがいて向田さんの料理本がバイブルだと語っている。
 向田さんの代表作のひとつといえば「寺内貫太郎一家」。「寺貫」といえば出演者だった白鳥哲の挿入歌「ひとりだち」でしょう。松本隆と御大のコンビ作品としては「水無し川」よりも早い古顔だ。それがどうしたと言われればそれまでだが。
 当時、自分とほぼ同年の男子が、御大から曲を創って貰うことにおおいに嫉妬したものだ。そしてこの白鳥哲さんはルックスこそ美しかったが歌がかなり下手だったことも面白くなかった。ただの一般中学生の私にもかかわらず「オレならもっとうまく歌うのに」とテレビの前で悶絶していた(笑)。
 しかしこの作品は瑞々しいさわやかさに満ちた佳曲で今も繰り返し聴く。DUOの「放課後」と並んで是非、若者にカバーしてほしい作品だ。LOVE2の頃のkinkiがうってつけだったのにと思うのだが。

2016. 6. 7

 現在の現在。梅雨入りだ。しかし"6月の春が一度に花開く"という竜飛崎は春満開なのだろうか。この作品もB面名曲伝説に堂々と鎮座まします。御大のタイトなボーカルとムッシュのだらしなくも味のあるボーカルが支えあっているところがたまらない。もう一度ライブで聴きたいが、そもそもレコーディングの段階で、ムッシュに北原健二が憑依したりして大変だったと聞くのでライブでの再演は難しいのだろうか。
 何年か前に岡本さんの気分を味わいに竜飛崎に出かけたことがあった。途中の十三湖で食べた「しじみラーメン」が抜群だった。スープもデカいしじみも絶品。前日に泥酔とかしてたらさらに旨かろう。こういうところでひっかかってしまうので自分は永遠に岡本さんの心境に近づけまい。
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2016. 6. 8

現在の現在。6月といえば、もちろん、かどうかは別にして倉沢淳美「六月の花嫁」。♪異国気分の港町・・・このあたりのポップなメロディーはもうすんばらしい。御大において「ハート通信」と並ぶ二大アイドルポップではなかろうか。珍しくカラオケに入っていたことがあったが「夢ですか、フフッフ・・」のところが、とてもおじさんが歌えたものではない(笑)。さすがオカマの作詞家森雪之丞(御大がラジオで言ってたんだから)の独壇場だ。たまたまテレビの特集で観たが倉沢淳美さんは外国の大富豪とご結婚され超セレブになられたようだ。「六月の花嫁玉の輿」と考えると、これは実に縁起のいい歌でもあるのかもしれん。

2016. 6. 9

現在の現在。読み方はときどき難しい。「君去りし後」は「ご」「のち」「あと」のどれなんだという古典的な問題はもとより、例えば「英雄」は「ローリング30」発売前後、御大はラジオで「ヒーロー」と読んでいた。たぶんその直後発売になった甲斐バンドの同名曲に、親心いや兄心で禅譲して「えいゆう」にしたのではないかと推察する。かつて武田鉄矢が自分のラジオで「流星」を紹介したとき「この間拓郎さんと飲んだとき、ご本人から『'ながれぼし'と読め』と怒られました」と言っていたが、御大はただの酔っぱらいだっただけのような気もする。間違えやすい読み方に受験生は要注意・・ってなんの受験だよ。

2016. 6. 10

あれから38年。シングル「舞姫」発売。「死にたい女と死ねない男」という御大の発注に対する松本隆の納品。同じ発注に自分で答えたのが「俺が愛した馬鹿」なのだろうか。「舞姫」発表当時のラジオでデモテープと完成版を比べて聴かせて「松任谷(編曲)くん、何も仕事していません。」と文句を言っていた御大。それに発奮したのか知らないけど、翌年のライブの松任谷正隆のキーボードが炸裂するアレンジとプレイは素晴らしかった。いつもより余計に弾いていますって感じで武道館がキーボード一色で染まったあの華麗なプレイが、もうOK松任谷。

2016. 6. 11

あれから38年。「舞姫」といえばそのレコーディングスタジオに山本コータローが訪れて、これからアメリカで暮らすと別れの挨拶に来たと御大がラジオで言っていた。それから数か月後、御大がラジオを風邪で休んだ時「どーもーコータローです」といきなり登場して驚いた。もう帰ってきたんか(@_@)。一時帰国だったらしい。さすが恐るべき伝説の代打男だ。翌年の篠島の時も帰国して映像の助監督として指揮をとっていた。いうまでもなく「誰も知らなかったよしだ拓郎」は心の底から名著であり貴重な文献だ。そんなコータローが80年代中盤、ユイを辞めて、よりによって松山千春のNEWSレコードに移籍し千春のディレクターになった時は驚いた。何があったのか、一般Pにはわからないことにせよ、アメリカに行ってしまうより悲しかったものだ。今は昔だが。

2016. 6. 12

現在の現在。エルトン永田さんのプロフィールでは代表曲のひとつが「ガンバラナイけどいいでしょう」になっている。数多くのアーティストとプレイし、御大だけでも数多くの作品に参加した中からのチョイスにエルトンさんの人柄がしのばれる。ついつい熱血を求めてしまう私のようなファンにとっては、ちょっとショッキングなタイトルだったが、作品を聴くとそうではないと気づく。あらゆる「しがらみ」から自由になっていくための歌だということがわかる。まさに「ファイト」の「あきらめという名の鎖を身をよじって解いていく」そんな前を向いたスピリットに満ちている。それに、あのローラのCMは良かったなぁ。あんなふうに粋にいろんな御大作品をどんどん使ってください。

2016. 6. 13

現在の現在。さすが梅雨本番。どしゃぶりだ。♪どしゃぶりの雨の中〜思い出のたくさんしみこんだ表参道を歩いている・・・「街へ」。こないだ川村ゆうこさんもカバーしてたな。御大は怒るだろうけど、この曲は御大がラジオで聞かせてくれたデモテープが一番好きだ。雨にけむる街並みを(!)やるせない感じで漂うような情感が御大のギター滲み出ていた。キーを間違えたと御大は言っていたが、低音でつぶやくような歌声がまたいいのだ。「あなたの人生はいかが 若さはホロ苦いね・・」くぅぅぅたまらん。「変わってしまったのは街だけではないはずさ」・・・って、さすがに建て替えだか何だか知らないが、あんな駅舎は変わりすぎだろう。

2016. 6. 14

現在の現在。たまたま仕事で大阪へ。仕事はいいのだが、信者としては儀式が多くて大変だ。駅では知ってても駅員さんに「大阪行は何番ホームですか?」と尋ねることはもちろん、心の底から迷惑だと思っている知人たちに構わず「僕はこれから大阪へ行くところ」とメールを打つことを忘れない。新幹線は、進行方向左の窓側(「聖地側シート」と呼ぶ)に座り、遅くとも静岡駅を通過したあたりから祈りに入り、掛川の聖地つま恋の看板への深い礼拝を欠かしてはならない。ココが一瞬なんで気が抜けない。その後「新幹線はうんと早い」を口ずさみながら大阪についたら「おーい、みんなタコヤキ食ってっかぁぁ」(その節は御大が失礼しましたm(__)m)と心の中で叫んで行きの儀式終了。

2016. 6. 15

現在の現在。コンサートで何が好きって、開演直前の客電が真っ暗になるあの瞬間だ。湧き上がる歓声と怒号。いよいよ船出だ!!というあの瞬間にこそ至福がある。たぶん音楽の神様は、あの瞬間に降臨するのではないか。たまらん。2014年なんか客電が落ちるとステージにあの御大のシルエットのデザインが浮かび上がって、それだけで心湧き立ったものだ。・・・それを知ってか知らずか、1999年の20世紀ツアーは客電をつけたまま、わらわら出てきて演奏始めたり、何度でも書くが2009年は開場と同時に観客を無視して歌うという暴挙など、一筋縄ではいかない御大だ。・・何があっても負けないぞ。

2016. 6. 16

 現在の現在。いよいよライブなのだろうか!(^^)!。ここは場末の読者ほぼゼロのテキトーなサイトなので(と言いつつ立ち寄ってくださるごく少数の方々には心からありがとうございます)勝手に言い放ってしまおう。
 私は、もう「落陽」も「外は白い雪の夜」も「春だったね」すらも要らない。それはそれはかけがえのない神曲たちだけれども、もう十分に十分に歌っていただいた。それらを歌うことは、例えば既に現役ではない「かぐや姫」が「神田川」「妹」を歌うのと変わらないのではないかと思ったりする。
 御大は現役でステージに上がるのだから、新曲と未だ陽の目を見ずに蔵置されている膨大な名作たちを聴きたい。

 切なく美しい夕陽を歌うのであれば「落陽」ではなく「歌ってよ夕陽の歌を」「夕映え」「夕陽よ俺を照らせ」を聴きたい。「雪」であれば「ありふれた街に雪が降る」こそ聴かせてほしい。
 そして岡本おさみさんに鎮魂の思いを運ぶのであれば、膨大な数の名曲はあれど「又逢おうぜ、あばよ」を反芻して心の底から泣きたい。

 10年前のつま恋の時、何日も前から乗り込み、リハスタジオの壁に耳を押し当てていたファンのK君が、「僕を呼び出したのは」をリハーサルしていたみたいだと狂喜して教えてくれたことを思い出す。実際には演奏されず、彼も若くして亡くなってしまい、その真偽は不明だ。しかし、真偽よりも「僕を呼び出したのは」という作品を思って胸打ちふるわせた一瞬だけで十分に尊い。ああ、聴きてぇ。

 セコイ都知事をスケープゴートにして重大な何かを隠そうする政治家たち、血か涙かを見るまで大挙して盛り上がる世間、そんな状況をみるにつけ、「LIFE」や「アジアの片隅で」の孤高なる叫びがどうしても聴きたくなる。

 かつて富沢一誠が無責任な歌詞として揶揄した「ひとつになれないお互いの愛を残して旅に出ろ」。この歌こそ海より深い真実だったことを思い知らせるために、今こそ御大の「ファミリー」の絶唱が聴きたいし「マイファミリー」と叫びたい。

ああ「流れる」「RONIN」はステージでは永遠に聴けないのだろうか・・・・・

 百人百様、いろいろな選曲がありキリがないし、かなうはずもない。そもそもあれこれ勝手なリクエストをするファンなんて御大は大嫌いに違いない(笑)。だからなのか、御大は「苦しい」とライブの選曲の辛さを語った。確かにこれだけ多彩でたくさんの愛する「子どもたち」が溢れているところから何人かを選ぶことは想像を絶する厳しさかもしれない。しかし、それだけ御大のライブは無限の未来の可能性に満ちている。
 繰り返すが「落陽」はもういらない。輝けるたくさんの忘れ去られそうな子どもたちと新しい子どもたちをひとりずつ愛でる旅こそ、現役の歌手と現役のファンとしてのふさわしい営みなのだと僭越ながら私は思う。新曲に必死で耳をそばだて、思ってもみなかった選曲に、予想外の歌唱と演奏に、おおーそうきたか!と打ちのめされ悶絶することこそ至福の時だ。

2016. 6. 17

現在の現在。テレビを観ていていきなりびっくらこいた(@_@)いよいよツアー開始だヽ(^o^)丿舛添辞任の号外、イチローの世界記録の号外、御大のタブロイドの号外が日本の三大号外のはずだが、まだこないぞ!!ハイクアウト。あと年末の新作という話も心の底から嬉しい!(^^)!。

昨日は選曲でいろいろ不遜なことを書いてしまったが、「選曲の自由」はアーティストが憲法で保障された人権だ。もちろん何を演奏してもついていく。あ、ただ「人生キャラバン」と「マラソン」と「季節の花」を書き忘れた(笑)。

 御大をはじめこの日のために生きてきたすべての皆さん、秋に向けてお身体を大切にあらゆる万難を排してがんばりましょう。

2016. 6. 18

現在の現在。このサイトも含めまったりとした御大系ネットが、昨日の告示を境に俄かに燃え立つ。さてチケットだ。TYISも「当選」「落選」なんて言葉使ってるし。この感じ、たぶん議会が突然解散されて選挙が告示され、イキナリ選挙戦が否応なく始まってしまった議員さんの気分に近いのではないか。まぁそれじゃあと裏で高いお金出すと捕まってしまうところもなんかも似てる。
私たちの多くは、もはやジャニーズファンやAKBのファンと違って高齢で、チケット争奪戦を戦う体力も気力もまたそれを青春のヒトコマとして楽しむようなゆとりも乏しい。なので、どうかこのチケット取得に関してはお手柔らかにお願いしたいよ。

あれから2年。アルバム「AGAIN」発売。セルフカバーでありながら、新曲「アゲイン」が輝く。この新曲が、アルバムのすべての過去の曲に光を与え、その過去の曲たちも新曲「アゲイン」に向って収斂していくような見事なアルバムだった。2014年のライブも同様だった。新曲を灯にして、これからのライブが楽しみだ。

2016. 6. 19

現在の現在。御大はアルバム「こんにちわ」がお気に入りなのか。発表当時「この20年で一番良い」と大絶賛していたが、どーせセールストークだろうとあまり本気にしていなかったが軽率だった。確かに、御大の言う通り「素敵じゃない世の中」、「どうしてこんな世の中なんだと言いたくなる世の中」が私たちに大きな影を落としている。「明日は今日より軽やかに 心が悲鳴を上げないように」「大切なことはひとつだけ 変わらぬ自分でいられるように」。そう言われるとしみてくるじゃないか。初代フォークビレッジ金子洋明さんを聴いてヨーデルの練習をしておこう。

2016. 6. 20

現在の現在。というわけで突然だがアルバム「こんにちわ」を深める月間。しかしいろいろ雑念が湧く。ジャケットの御大のポーズとごめんね青春の観音菩薩さまのポーズが似ている。ご夫婦だから当然か。「消えてゆくもの」が大好きで、つま恋で聴けたときはほんとに嬉しかった。ただ、御大は怒るだろうが、これを聴くと必ず小室等の「僕のねぇちゃん 女だぞ 女でぇぇ」が浮かんでくる(爆)。姉妹関係か。「いくハピ」は何度聞いても名曲だ。もっともっと国民に浸透してほしい。スティービーワンダーの「Happy Birthday」よりこっちのほうがはるかにいいと思うのだがぁぁぁ。
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2016. 6. 21

あれから25年。アルバム「detente」発売。あれから21年。アルバム「Long time no see」発売。同じ日か。どちらのアルバムもある種の「静けさ」の中で生まれてきたという感じがする。世の中の期待や喧騒から遠く離れたところで静かに生まれたところが共通していると自分だけで思う。そして至極の名曲たちが息を潜めるように並んでいるところも似ている。

「detente」発売時は研修寮に入っていて、CDプレイヤーを持っておらず、食堂の共用カセットデッキが唯一のハードだったので「ミュージックカセット」を買った。年長のSさん、Kさんは、「おっ拓郎だ、懐かしいな」とギターを出してきて「やっせっぽちのブルース」「来てみた」を歌ってくれた。若き秀才のMくんは「あ、吉田拓郎って、こないだ久保利先生が著作権法の授業で言ってた人ですよね」と珍しそうに折りたたまれた歌詞カードを読んでいた。なんてことはないが懐かしい。

2か月後、寮から出て静岡に配属されて、そこで初めてCDプレイヤーとCDの「detente」を買った。CDだけに入っている曲があるということで、そこで初めて聴いた「裏窓」。手風琴の音色から胸わしづかみで、もうひたすらぶっ飛んだ。いくらカセットでもこんな名曲を削って発売しちゃダメでしょ。
というわけでCDの「裏窓」に記載された「Bonus track on CD」この意味の底知れぬ深さを思い知った数少ないファンの一人であることを自負している。

折しも当時「静岡けんみんテレビ」のお母さんが子どもを抱き上げるCMスポットのテーマ曲が「たえなる時に」になっていた。みんなお元気だろうか、超個人的にしんみりモード。

2016. 6. 22

現在の現在。石山恵三さんの「慕情」を聴くのは三度目だ。実にイイ。エルトンさんのピアノも冴える。この作品は歌唱力とともに、どれだけ御大への愛をこめるかが命だ。素晴らしい。大好きな映画「桐島、部活辞めるってよ」にちなんで「石山、慕情歌うってよ」と勝手にコピーつけて楽しんでいる私だが、今回もいい歌を聴かせていただいた。
エルトンさんのピアノと石山さんのベースといえば、どうしたってはじめて「そして誰もいなくなった」を聴いた箱根ロックウェルに心は飛ぶ。ラジオ中継でインタビュアーの陣山さんに「ウルセ、バカ」とかました(笑)石山さんの伝説とともに永遠だ。

2016. 6. 23

現在の現在。御大は猫が嫌いらしい。吉田真由美だったかのエッセイで、家に遊びに来た御大が、玄関に鎮座している飼猫を見るや否や「ギャー!こっち来るなよぉ」と叫び声をあげて足がもつれてすッ転んだという話を書いていた。
 御大のライブが観たくて加入したWOWOWだが、最近2シーズン目が始まった「グーグーだって猫である」がたまらなくいい。宮沢りえ演ずる大御所漫画家とアシスタントの黒木華の子弟関係。大御所先生が若手仲間から揶揄されると「でもね、先生は、それでずーっと描いてるんだよ。ずーっと。」といきり立つ。「でもね御大はね、ずーっと新曲作って歌ってるんだよ、ずーっと。」と勝手に置き換えて涙ぐみそうになる。心から尊敬する人に抱く愛と誇りそして不満と焦りがミンチになったような複雑な気分をとても上手に演じている黒木華・・・惚れてしまいそうだ。

2016. 6. 24

現在の現在。いよいよチケット応募が開始だ。ファンの歴史はチケット獲得の戦いの歴史でもある。昔はよく徹夜でプレイガイドに並んだものだ。いつだったか矢沢永吉のチケットと重なってラジカセ抱えたヤンキー軍団と一緒になったことがあった。おっかねーにいちゃんに「誰並んでんの?」「あ、吉田拓郎のチケットです」「あーっ拓郎さん。永ちゃんと拓郎さん親友なんだよね。」と急に優しくなった。「さん」づけだし、お菓子もわけてくれた、いらなかったけど。「さだまさし」とか答えていたらどうなったんだろうとちょっと怖い想像をしてみる。御大の人徳に救われた(笑)。

2016. 6. 25

現在の現在。「夏が見えれば」というより「夏を超えたら」御大にいよいよ会えると思うと「夏を乗り切る余裕」も出ようというものだ。あ、これは泉谷か。もうすぐ夏がやってくるといえば99年のツアーで御大がカバーした「フラワー」。あれは素晴らしく良かったなぁ。夏の明るいウキウキ感に満ちた御大の歌唱が忘れられない。。夏を愛しまた夏の寂しさも知る御大だからこそ成功したカバーだと思う。ああいう音源は陽の目をみることなくお蔵に入ったままなのだろうか。今でも毎年思い出しては頭の中で反芻している。

2016. 6. 26

現在の現在。「土地に柵する馬鹿がいる」。凄い歌だよな。緊迫する国際情勢からご近所の境界線のもめごとまですべてに通用するスピリットを歌っている。御大は若き日から天才ばい。

土地に柵する人がいる つながる大地のその上に
杭打ちつける馬鹿者は 一体何をする気だろう

つながる大地のうえなのに むこうの悲しみ目をつぶり
むこうの争い背を向ける 一つの柵でこうなのか

ジョンレノンは、ひそかにこの作品を聴いてインスパイアされて「イマジン」を創ったというのが私の仮説だ・・てか妄想か。

2016. 6. 27

現在の現在。亡父の命日が近いので鎌倉まで墓参。暑そうだ。「清流」を聴きながら行く。こういうときのためにこういう作品を創っておいてくれる御大の心遣いが嬉しい・・っておまえのために創ったんじゃねぇよ(笑)。あなたに会いたい、あなたの声が聞きたい。なんと美しい歌なんだろうか。いいのかファンしか知らない歌で置いといて。
・・・それにしてもいつ見ても大船観音はでかくて怖い。
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2016. 6. 28

現在の現在。父の墓参の帰り道にふと思い出した。御大がテレビ出演した時に、御大の御父上が海辺に一人たたずみ腕組みし遠くを見つめておられる昔の写真が出てきた。「素晴らしいお写真ですね」という関口宏に「一般家庭の一般人なのにこんな写真があること自体がおかしい」と苦笑していた御大のセンスが好きだ。
写真といえば、Ninjin officeの人々の中では、向田邦子に続いて田村 玲央奈がブームである。タムジンの娘さんとは知らなかったらしいからホンモノだ。その人と成りと言葉と写真にシビレながら、彼女が撮り下ろした御大のツアーパンフを眺める。素敵な女性だが、気合というかギアーの入り方からして違っていて、私のようなヘナチョコには太刀打ちできまい。太刀打つ必要もないが。昨年12月に永遠の別れと誕生という命のバトンの受け渡しのような日々を過ごされた日記には言葉がない。