たくろうチャン
作詞 吉田拓郎 作曲 吉田拓郎
アルバム「人間なんて」
エンケンとたくろうチャンの軽みの日々
今、聴くと「なんだこりゃ」「テキトーな歌」「スタジオで遊んでるだけじゃん」と思うかもしれない。しかし、当時もたぶんそうだったに違いない(爆)。
アルバム「人間なんて」は、スタジオ録音の公式アルバムとしては、拓郎のデビュー二作目にあたる。まだまだバリバリ新人歌手である。普通、新人歌手はアルバムとえば、ガチガチに緊張して、必死になって気負いこんで作るものだと思うが、拓郎はこういうテキトーな遊びをもやってのけた。しかし、確かに詞はくだらねーし、演奏もふざけて遊んではいるが、よく聞くとメロディーはしっかりとR&Bで作られていて、音楽の才能が煌めく。
こういう「音楽の才能」、特にスーパーボールがポンポンと弾んではじけまわるような「軽み」こそが拓郎の魅力だと思う。「軽み」。松尾芭蕉が言ったように「かろみ」と読もう。この軽みがあったればこそ、激流の中、化石にも教祖にも過去の遺物にもならずに、今日もしなやかに拓郎は拓郎でいるのだと思う。 ま、その「軽み」がエスカレートして時に私らを心配させたり、辟易させたりする。例えば、テレビでお茶らけていたLOVE2や2009年から4年続いた坂崎幸之助とのダラダラとした「ANNG」のように。ファンとして文句も言ったが、拓郎の大切な要素だったのかもしれない。
それにそもそも自分の名前を冠して歌を作るという危うい行動をサラリとやってのけるあたりで、「軽み」は「天性のアイドル性」とむすびつく。例えば他の歌手が「のぶやすちゃん」「しんじちゃん」「ちはるちゃん」なんて歌を歌う姿想像してみるとよくわかる。まさに拓郎だからこそ、こういう歌が成り立ったのだ。
さてさて間奏で拓郎と一緒に遊んでハーモニカを吹いているのは、遠藤賢司だ。このころ二人の絆は深かったようだ。エンケンのHPのプロフィールを観ると、この当時「吉田拓郎とともにフォークのプリンスと呼ばれた」と記している。確かにこの当時はエンケンの方がスターだったよね。
75年にフォーライフが設立されたとき、雑誌で遠藤賢司がフォーライフへの移籍を表明した記事を読んで驚いた。それに75年のフォーライフ第一弾のレコード泉谷しげる「王様たちの夜」の☆印のジャケットは遠藤賢司のデザインだったし。けど、いつの間にかうやむやになってしまった。後に川村ゆうこが「5人目のフォーライフ」としてデビューするが、遠藤賢司が幻の5人目のフォーライフだったことは覚えておきたい。覚えてても何にもならないが。
ともかくカッコイイどこかのボンボンみたいな拓郎ちゃんにやられっぱなしのファン。ファンには、拓郎本人のように「軽み」のある人が少なく、自分も含めて重くて暗くて厳しいマニア型人間が多い気がする。もっといい加減にテキトーに楽しんでくれよというのがたくろうチャン本人のメッセージかも。